ARTISTS
Myanm/art
Oct 04 - Oct 30, 2019
メッセージははっきりしているのに断言しない。観る人に解釈の裁量の余地を与え、作者が考える以上の問題を提起する。映画監督であり、パフォーミングアートにも従事し、インスタレーションも創作する女流作家キンテッターラ氏の作る空間は、そうした多角的な要素が散見される。個展「国、街、人」では、銀色に鈍く光る水汲み壺が、内戦のさなかにあるラカイン州の古都・ミャッウーへの想像力を掻き立てていた。
ヤンゴンのダウンタウンにあるミャンマート(Myanm/art)で開催されたこのイベントでは、銀の水汲み壺を積み上げてパゴダを模したインスタレーション、壺とパゴダを組み合わせた写真、井戸の暗闇と顔の見えない女性を組み合わせた映像作品と、多様な表現が並ぶ。キンテッターラ氏は「この空間を使って私の思うことを表現しようと思った時、一番良い手法を使っただけ」と説明する。
「国」と題した作品では、国土がばらばらに分断されている
分断された州や地域は「販売中」
まず、壁一面に表現した「国」はいくつもの州や地方、もっと言うと断片に切り取られていた。それぞれの州や地方には「ラカイン州販売中」などと書かれたキーホルダーがぶら下げられている。キーホルダーは木片やチェーンなど安い素材を使っている。土地や資源が外国に買いたたかれ、国際的に搾取されている現状を描いた、とキンテッターラ氏は解説する。
ただ、それ以外にも、分断された国土は、いまだ少数民族が対立し内戦が終わらないミャンマーの状況を想起させる。
「街」は銀の壺と古いパゴダの写真9枚で構成
壺でパゴダをかたどったインスタレーション
次の「街」で表現したのは、ラカイン州の古都ミャッウーだ。アラカン王国の首都として栄え、世界遺産候補とも目される仏教建築物の美しい街だが、今年に入り、ラカイン族の自治を目指すアラカン軍との内戦が激化し、市街地や遺跡にも被害が出ているとされる。彼女がここに足を踏み入れたのは、内戦が波及する前の2017年。水不足のため遠くまで歩き、重い水汲み壺を運ぶ男女の姿に衝撃を受けたという。ミャンマーでは、水は富の象徴。水汲み壺とパゴダを組み合わせた写真で、富への渇望を描いた。時間の経過とともに雰囲気が変わる9枚の写真で構成した。壺を積み上げてパゴダを模しているインスタレーションも、同様のモチーフによるものという。「ミャンマー人はパゴダを建てる時、何か願いを込めている。私も壺でパゴダを作るときには願いを込めた」とキンテッターラ氏は話す。
女性のパフォーマンスと暗いビデオを組み合わせた「人」
「人」は、水汲み壺を使った女性のパフォーマンスの写真と、吸い込まれそうな暗い井戸と女性の姿を映したビデオを組み合わせている。井戸の動画は「ブラックホール」と名付けられており、ミャンマーでは絶望を意味する言葉だ。深い絶望の中でも富を得ようとする女性の努力を描いたと解釈できる。
キンテッターラ氏は、ミャッウーが戦闘に巻き込まれていることは、作品で表現したいことではないという。ただ、この時期にこの危険にさらされている古都を描けば、観る者の脳裏にこの悲劇が浮かぶことは否定できない。
かけらを重ね合わせ国土を表現することで、多様性を表した
団結と多様化を描いた二枚組の作品では、ミャンマーの国土がばらばらになるものと、折り重なるものとがある。彼女の作品にはしばしば、このように2つの要素の組み合わせが登場する。絶望とそれに打ち勝つ努力、聖なるパゴダと日常生活を示す水汲み壺、国の持つ政治性と人の持つ自由…。そのどちらに重きがあるのか、その組み合わせで何が生まれるのかの解釈は観衆に任されており、その結果数多くの異なったメッセージを生んでいる。それは翻って、観る人に自分はどう考えるのかという問いを突きつけるということでもある。
キンテッターラ氏はノーラという別名でも知られる。アーティストとしては珍しく、国際NGO(非政府組織)職員という実務家の経験もある。それに加え、映画や写真、パフォーミングアートなど多数の要素が、ひとりの作家の中に共存しているという事実は、彼女が作品で強調する「団結と多様性」に通じるものがあるかもしれない。