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文/ 鈴木一絵
ラッタナ 2020年9月日比谷にて
シンガポール・ビエンナーレ2019にて、約6年間かけて制作してきた『独白』(Monologue)シリーズの最終作を公開し、トリロジーの完結を披露したヴァンディー・ラッタナ。カンボジアの現代美術界を牽引してきた作家の次なるステップとは−−約4年間の東京生活を終え、台北に拠点を移す直前のラッタナーに、今の心境や今後のビジョンについて話を聞いた。
— 東京での生活はいかがでしたか。展覧会や撮影など色々と移動も多かったことと思います。また、移動する直前の新型コロナウイルス禍で大変でしたね。
東京ではとても静かで落ち着いた時間を過ごしました。海外に行くことも多かったので、東京で出歩くことは少なく、大抵の時間を部屋で映画を見ることに費やしました。この10年間で20,000本ほど映画を見たと思います。東京は、大都会なのに緑も多く、虫の声も聞こえ、今やプノンペンでは感じられないような私が生まれ育った故郷の懐かしい風のようなものを感じることもできました。新型コロナウイルスの出現を受けて、世界は今や戦争状態に似たものがあると感じていますが、日本社会はとても冷静に対応している方だと思います。
— 台北に移動される理由は?
今までも台北を拠点に活動をしてきました。台湾は、アーティストビザを発給してくれるので、土地勘もあり、文化を愛している場所で活動するのは良いことだと思い、拠点を移すことにしました。
— 所属ギャラリーなどはどうなるのでしょうか?
今はどこのギャラリーにも所属していません。カンボジアで所属していたギャラリーは2年前に解散してしまったので。作品は全て自分で管理し、美術館や展覧会のスタッフとも自分がやりとりしています。今は韓国で3つほど展示をしています。日本には所属ギャラリーはありません。私は自分の作品はどちらかといえば形而上学的だと思っていますが、日本人には感情的な作品だと言われますね(笑)日本は技術的な部分をとても気にする文化ですよね。
— 台北で予定されているプロジェクトがあるのですか?
長編映画を撮影しようと考えています。日本滞在中に読んだ川端康成の『眠れる美女』に感銘を受け、そこから作品を撮りたいと思っています。過去にドイツやオーストラリアなどで映画化されていますが、日本文化やその美しさを理解していると思えず、自分だったらこう撮る、というイメージがとても強く湧いてきたのです。これまで映像作品は作って来ましたが、いつか劇映画を撮ってみたいと思っていました。映画産業の側に行き、制作チームを組んで、クルーを雇って、資金を探して、というのはプレッシャーもあり大変な作業だと理解していますが、台湾でやってみたいと思っています。日本文学を台湾で撮るというのは、俳優や言語をどうするかなど考えないといけないことも多いですが、自分の中でイメージができているのでそれに挑戦したいと思っています。
— 何があなたを川端の作品を映像化したいと思わせたのでしょうか?
心理的景観と言うのでしょうか、そうした描写がとても美しく、その画のイメージが湧いてくるためです。例えば女性の体について詩的でとても美しい表現で書かれていて、クローズアップで撮る画が想像できる。そうした描写は人間という存在に対しての問いであり、社会から抑圧されている欲望であり、普遍的なものだと思います。私は、自分自身はそれほど抑圧されているとは思いませんが、そうした描写に惹かれます。日本人は、外国人が評価するほど川端を評価していない気がしますね。『眠れる美女』は、プルーストの『失われた時を求めて』の中で、「私」が過去の純粋だったときについて語る部分を思い起こさせました。私たちは、多くの場合はその素晴らしく純粋だった時のことは思い出せないけれど、例えばある風を感じた時に突然、家の前にあったマンゴーの木などありありと思い浮かべることができるような、そんな瞬間があることも確かです。『眠れる美女』も、死を前にした年老いた自分に対峙している主人公が、過去を振り返り妄想の中を生きていますね。もの悲しい、美しい描写です。
たしか儒教では、人が絶望するのは過去に生きているからだと言っていますが、私は必ずしもそうだとは思いませんが、そういう哲学があるのも事実です。私たちは過去には戻れないし、でも過去を乗り越えていないから前に進めないこともあるのだと思います。自分にとってはそうしたことはもう十分かなとは感じていますが。
— それは、これまでのあなたの作品のことでしょうか。これまでカンボジアの国としての悲劇の歴史や、国の記憶と家族の記憶を結びつけるような作品を作ってこられたと思いますが、そうしたシリーズは一区切りになるのでしょうか?
そうです、トリロジーが完成したので、これで一度完結です。少し違うステージに進みたいと思っているので、もう家族の話には戻らないと思っています。トリロジーを以ってカンボジアの歴史を語ることに終止符を打つわけではありませんが、他人の過去を持ち運ぶということを、もう自分一人ではやりきれないと感じています。もちろん一部は持ち続けていくことになりますが、それはある意味責任を引き受けることでもある。本当はその責任を他の人と共有したいけれど、カンボジアではそれが難しいと感じています。カンボジアでは人々は、過去は過去、と割り切っているように感じます。だから国は変わらない。でも過去を認識しないと、同じ過ちを繰り返す。歴史はそれを教えているのに、人々は気づかないし、議論をしない、対話がない。
でも今後完全に過去を扱う作品を作らないというわけではなく、爆弾の池(bomb pond)の写真集を出したいと思っています。資金が集められるかわかりませんが、展示ではなく本を作りたいと思って撮り溜めています。できる限り旅をしてbomb pondを巡って写真を撮りたい。現在300枚ほど写真があり、今年もベトナム・カンボジア国境に撮影に行く予定を立てていましたが、コロナの影響で色々な計画が頓挫しています。こうした爆弾クレーターは約200万個あると言われていますが、全て網羅して写真を撮るというような、何か象徴的なことをして歴史を記録したい。カンボジアの歴史というだけではなく、人類の歴史を残すために。私たちは歴史から逃げられないし、忘れることはできません。カンボジアの病が引き起こした悲劇なのです。未だ貧しい国なのに、なぜ内戦ができると思ったのか。
しかし今の時代、爆弾を伴う戦争はあまり起きないかもしれませんが、経済戦争、文化戦争、水戦争など、世界各地で戦争は起きています。文化帝国主義が蔓延り、アメリカと中国は変わらず争い続けていくことでしょう。資本主義、権威主義、覇権主義、新植民地主義・・・持てる者と持たざる者の格差は開くばかりです。ここ東京でも、高度資本主義経済のシステムに翻弄され、変わってしまう人々を見てきました。日本社会は、一度入ったシステムから抜け出すことが難しいという息苦しさのようなものはありますよね。金銭的に裕福になることが幸福に直結しているわけではないのに、そこに囚われ、自由を失う人々を見てきた。近代化は利便さを生み出したけれど、人の欲深さも照射しました。人間はそうした逃れられないクモの巣のようなシステムの中で生きているのだと思います。
— どうすれば私たちはそのようなものから自由になれるのでしょうか?
そうですね、全員が哲学的になれば解決するのではないでしょうか。でも悲しいことに現実では私たちは常にそうしたシステムの奴隷であり、無知の奴隷です。私たちの無知ゆえにそうなるのです。人間は、考えなければ、本能に従い生を送ることになります。そして人間とは本能的に欲深い生き物です。教育がなければ、考えることはできず、教育を受けていない人々は選択肢を考えることができません。それが今カンボジアで起こっていることだと思います。状況は複雑ですが。もちろんカンボジアの状況に希望を持っていないわけではありません。現在カンボジアでは、土地や財産権について、人々が抗議の声をあげ、自由を求めています。それは、民主主義のためという段階まで到達していませんが、そうした抗議をすること自体が重要だと思っています。
— そうした状況を変えていきたいという思いから、執筆や翻訳出版などの活動をされているのでしょうか? Ponleu Association の活動について少しお聞かせください。
フランスに亡命しているカンボジア人の学者と一緒にPonleu Association を立ち上げて、フランス語や英語の哲学書・古典文学などをクメール語に翻訳して自費で出版するプロジェクトを運営しています。スポンサーは取らない方針です、しがらみが生まれますから。メンバーは4人いますが、今もっとも活動的なのは自分と自分の妻です。あとは、カンボジア在住のグラフィックデザイナーがメンバーにいます。
カンボジアは、クメールルージュ時代にあらゆる本が燃やされ、学者や知識人も殺されてしまったという過去があるため、本から知識を得るということが社会の中で圧倒的に不足しています。私たちのプロジェクトの中で、カンボジアの人たちに読んで欲しいと思う本を全て翻訳しようと思うと、200人ほど翻訳者が必要で、今は全く人出が足りていません。少なくとも1,000冊以上は基礎として翻訳する必要があると思っています。
現在進行中の翻訳は、主に子供向けの簡単な哲学書ですが、私たちの翻訳する本は人々に求められているのを感じます。この3年間で約1,000部売れ、悪くない数字だと思っています。
権力や政治に抗議する手段は、トップを変えるように戦うことのみではないと思っています。トップを変えてもまた同じことが起こる。失敗した革命の歴史が教えてくれます。人々と一緒に働くこと、力を授けることこそが重要だと思います。カンボジアで本がブームになっていることは嬉しいですね。
— 翻訳しているのは主に西洋哲学や西洋文学のようですが、それらはアジア社会でうまく機能するでしょうか? 東洋哲学や仏教はどうですか?
文明の衝突という意味で、戦争に近いのかもしれません。東洋哲学ももちろん優秀で有効でしょう。でも民主主義や自由主義との親和性はあまりないように感じます。東洋哲学や仏教は、ヒエラルキーを肯定し、保守的、家父長的な部分も多分にあります。
カンボジア社会を変えたいかどうか、変えられるかどうか、それは国民次第です。私は、まずは選択肢を持って欲しいと思っています。カンボジア社会の問題点は選択肢がないことで、そこを開きたい。知識や哲学は全ての人のためのものですから。もちろん選択することは簡単なことではなく、選択肢が多すぎて迷うことが必ずしも良いことではないという見方もわかります。でもアジア的な伝統に縛られすぎることには問題もあります。
権力側が人々を無知なままに留めておこうとするのは古典的なセオリーです。私は真実を追い求めたいだけなのです。政治というのは人々を分断するのが目的で、敵を作ることが目的です。人々が力を持つことを望まないから。しかし、私たち人間は共存共栄を義務付けられた存在だと思っています。全ての人が、お互いのために生きるということに意識を向ければ、社会は良くなると信じています。
— カンボジアの将来はどうなるでしょうか?
難しいですね。1993年から普通選挙は行われていませんし、政府にクメールルージュの残党もいる。将来について、あまり楽観的になることはできません。
アートについて言えば、カンボジアの現代美術作家には多くのチャンスがあるとは思います。
でも、私から見ると、誰も、アーティストでさえも、国の将来を気にしていないから今の状態の国があるのだと思います。私もいつかは国に戻ろうと思ってはいますが、歓迎されないかもしれませんね(笑)私は物事を常に批評的に見ており、それを直接的に表現するのですが、そうした批評はカンボジアでは受け入れてもらえません。カンボジアでは、批評と侮辱を同一視しており、建設的なコメントというものも求められていません。君主制の文化が残る国の人々の気質かもしれませんね。日本にもタイにも似たところはあるような気がします。
— そんな中で、ご自身の情熱はどうやって保ち続けていられるのですか?
私はいつも情熱と孤独の間にいます。遠すぎず、でも近づきすぎず観察しています。私は、クモの巣の中に入り込みすぎると、身動きが取れなくなり自分を見失うと思っています。距離を取ることで、自由を確保していたいと思っています。
— これから劇映画を取り始めると、クモの巣の一つである映画業界に足を踏み入れることになるかもしれませんね。映画制作以外の作品作りは少し休止することになるのでしょうか?
作品は作り続けます。これまでのようにやりたいことをやりたいように同時並行でやり続けます。今は小説も書いているし、ペインティングもやっています。常にやりたいことをやるスタイルを貫きます。
— 台湾に拠点を移されてからもご活躍をお祈りしています。今日はありがとうございました。
1980年プノンペン(カンボジア)生まれ。カンボジア、フランス、台湾拠点。
独学で写真と映像を学び、2014年から、カンボジアで起こった歴史的な暴力やトラウマの記録を切り取る映像作品を制作。これまでの作品は、グッゲンハイム美術館、クイーンズランドギャラリー、シンガポール美術館、森美術館などに所蔵されている。