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ミャンマーの「闇」に光をあてる  画廊「ミャンマート」創業者 ナタリー・ジョンストン

Myanmar

数十あるヤンゴンの画廊の中でも、特に異彩を放つのがダウンタウンに位置する
「Myanm/art(ミャンマート)」だ。アメリカ人ながら単身ミャンマーに飛び込んでこの美術ビジネスを成功させたのが、創業者のナタリー・ジョンストンさん。売れ筋に限らない独自の審美眼で、ミャンマーの若手作家発掘に励む。

中国でアジア文化に囲まれて育つ

生粋のアメリカ人でありながら、アジアのテイストを理解するジョンストンさんの生い立ちはユニークだ。まだ年端もない子供のころ、銀行員だった父の仕事の関係で、改革開放が始まり経済成長の熱気にあふれる1980年代の中国・北京に滞在した。「子供のころからアジアの物品に囲まれていたので、アジア美術は私にとって親しみのあるものだった」と振り返る。1997年にはラジオフリーアジア(RFA)の記者をしていた母に連れられミャンマーを訪れている。初めて熱帯の国を訪れた12歳の女の子にとって、その記憶は鮮明で、「いつかこの国に戻ってきたい」と考えていたという。

米国の大学で美術を学んだ後、シンガポールのサザビーズ・インスティテュートで東南アジア美術を学ぶ。2009年には、論文のリサーチのためにヤンゴンを訪れている。そこで、パフォーマンスアートのビヨンド・ザ・プレッシャーや、ニューゼロ・アートスペースの作家たちと知り合い、彼らの情熱に触れた。その後、台湾や中国で仕事をしながらミャンマーへの思いを温め続けていた。

  • ミャンマートを立ち上げたナタリー・ジョンストンさん

転機が訪れたのは、2011年のミャンマーの民政移管だ。軍出身のテインセイン大統領は周囲の予想とは打って変わって改革に大ナタを振るった。最大の敵だった民主活動家のアウンサンスーチー氏(現ミャンマー国家顧問兼外相)と会談し、政治犯を次々と釈放し、米国のクリントン国務長官(当時)と電撃的に会談、西側諸国との関係改善を進めた。ジョンストンさんも、こうした時流の変化をみて2012年にミャンマーに拠点を移した。

当初、ミャンマー美術について調べるすべは非常に限られていた。文献などほとんどなく、体系的な調査は行われていなかった。ジョンストンさんは、ヤンゴンで開かれるありとあらゆるアートイベントに顔を出し、アーティストらと意見交換を行い、ブログを書き続け、時に英字紙に記事を出稿して国際社会にミャンマー美術のすばらしさを発信した。「ミャンマーには素晴らしい作家がたくさんいるのに、国際社会でほとんど知られていなかった」と振り返る。

こうした地道な調査活動を続けていくうち、ミャンマーの財閥のひとつ、SPAグループの御曹司、アイバン・パンがアートスペース「TS1」を開く。ヤンゴン港のふ頭の倉庫をまるまる一棟美術館にするというミャンマーとしては果敢な取り組みだった。そのキュレーターとして活動することになったのだ。「どんなアーティストを持ってきたらいいだろうかと悩むくらいの贅沢なスペースだった」と振り返る。しかし、港という庶民的で街に溶け込んだ場所にアートスペースを出現させるというユニークな取り組みは、政府関係者の批判を受けて数か月でとん挫してしまう。

また在野のキュレーターに戻ったジョンストンさんは、美術のデータベースづくりなどをしながら、自分の画廊を持とうと決意。2016年にとうとう念願のギャラリー、ミャンマートをヤンゴンのダウンタウンに開業した。ついに自分の思う通りの芸術作品を展示できるスペースを手に入れたのだ。

「始まったばかり」のコンテンポラリーアート

  • 文明の行く末を悲観的に描くカウンスー氏の個展「時代の亡骸」

  • ヤンゴンのダウンタウンに位置する画廊「ミャンマート」

ジョンストンさんによると、ミャンマーの古典美術や1920年から50年代の近代美術は国際的に評価されてきており、サザビーズなど国際的なオークションにも出品されるようになっている。一方でコンテンポラリーアートについては「稼げる作家も出てきているものの、まだ始まったばかりの段階」という。

ミャンマートが取り扱うのはこのコンテンポラリーアートだ。抽象画家のアウンミン氏らベテラン作家に加え、若くまだ知られていない作家の作品を多く紹介している。その代表が20代前半の画家バートワズノットヒア氏の個展「ゴッドコンプレックス」だ。海外のコミックの影響を強く受け、イラスト色の強い不思議な絵画を、皮肉を込めて力強く描く作家だ。「展示した7作品のうち6つが売れた」とジョンストンさんが驚くほどの反響だった。「彼のように初めて個展を開くような、若く才能のある作家を紹介したい」と話す。個展では、ほとんどが特別に制作された作品を展示する。場合によっては、ジョンストンさんが個展のテーマを提案する。

ミャンマートが独自色を発揮するのは、毒を含む作品が多いことだ。「ミャンマーのギャラリーの多くは旅行者指向」とジョンストンさんは指摘する。美しいパゴダやつつましい僧侶、そしてカラフルな服装の少数民族…。「確かにそれは美しい。しかし『美しいビルマ』だけを描くでは奥深さがない。私はもっと深い闇を好む」。2019年秋に開催したカウンスー氏の個展「時代の亡骸」も、チャコールをベースに人類の暗い未来を描く作品が並ぶ。

  • 「私は闇を好む」というナタリー・ジョンストンさん

ジョンストンさんのテイストは、ミャンマー人にも受け入れられつつある。ミャンマートを訪れるのは、ほとんどが若いミャンマー人という。「今では訪問者の7割はミャンマー人。でも買うのはやはりお金のある外国人」という。確かに、若いミャンマー人には画廊で美術品を購入するような余裕はないだろう。ただジョンストンさんは「こうした世代は将来きっといい愛好家になってくれる」と話す。ヤンゴンの異色のギャラリーは10年後の美術界を見据え、今日も新しい才能を探している。

文責: Yuki Kitazumi