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「アナルコ(アナキズム)・アニミズム −まつろわぬ生命−」展に寄せて

Japan

プロダクション・ゾミア

頼らなくても、生きていける

これは、牡鹿半島で得た「言の葉」だ。
小さき霊魂(カミ)の流れる息吹。この「言霊」には、小さきカミが宿っている。
また、山海近至の風景は、「いくつもの 〈非〉 日本」の痕跡を示す。
牡鹿半島からは、「ゾミア」の残り香がする。

タイ、カンボジア、ミャンマーなどの大陸の山岳地帯には「ゾミア」の故郷がある。
そこに現存する高地人を意味する「ゾーミ」たちは、小さきカミと共にある。
 
彼らは、自然と共に、その恵みと災いと共に生きてきた。
それゆえに排除や純化を回避し、ひとつの中心を生まない叡智、
動植物、無機物、霊魂など、混淆とした関係性を創造するアニミズムの知恵、
 
そして、アナルコ(アナキズム)的に、
国家による奴隷、兵役、徴税などから逃れ、
あえて文字を残さず、移動/分散を司る賢き旅人たちだ。

彼らの旅先となる「ゾミア」と呼称される場所は、山や森だけではない。
川や海も避難地としての「水のゾミア」となる。
ゾーミたちは、中央集権化されていく平地から大海へ逃亡し、
今のインドネシア、台湾、沖縄、紀伊半島などを経由し、牡鹿半島に流れ着いたのだろうか。

「文明の沈降」 と 「まつろわぬ生命」
 
一方、文明社会では暮らしとはかけ離れた虚構の「労働」が氾濫し、それが洪水のように流れる。
「制度」や「テクノロジー」に支配され、矮小化する世界――
目に見える有限の貨幣や物質だけを「資本」と呼ぶ「ホモ・エコノミクス」の奇妙な社会――
文明が沈降すればするほど、大きな物語や原理にしがみつく人々――
 
沈降する文明の影から、アナルコ・アニミズムを信奉する「ゾーミ」が現われる。
人間、動植物、無機物と流動するカミが絡み合う。
この生命の絡み合いは、「共生」や「利他」を超えて、
異なる原理に生きる対極的な存在同士の瞬間的な共存関係だ。
 
静かに抵抗する「まつろわぬ」生命たちは、
大きなものに頼らず、互いの自律性を保ちながら、
今日も一瞬の生を謳歌している。