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内なる声に耳を傾けて。 ミャンマー美術史を生きるレジェンド・アウンミン

Myanmar

どの国のどんな分野にも、ある人のキャリアがその分野の歴史そのものという人物がいる。ミャンマー美術界において、それはアウンミンだ。
彼が生まれたのは、ビルマ独立前夜の1946年。間もなく軍部が政権を執ると、その後50年以上にわたり、ミャンマー美術界は検閲と弾圧の時代が続く。彼のアーティスト人生ははまさにこの、ミャンマーにおける近代美術史に重なっている。

趣味になるはずだった絵画

  • 「静謐」と形容したくなる風貌のアウンミン

  • インヤーアートギャラリーにて

芸術が厳しい検閲の統制下にあった時代、自宅ガレージを「インヤーアートギャラリー」として多くのアーティストたちに提供し、ミャンマーのコンテンポラリーアートの旗手たちを送り出してきたアウンミン。その業績だけを聞けば、エネルギッシュな民主化闘争の志士をイメージしてしまう。しかし実際の彼は、長い間海を漂った末にひっそりと浜辺にたどり着いた、孤高の流木のような静けさをまとっていた。
アウンミンが絵を描き始めたのは6歳の時。毎週金曜日、学校で絵を習っていたという。エーヤワディ地方での幼少期を経て、ヤンゴンへ出てきたのは大学入学のためだった。当時のヤンゴンには美術大学がなく、彼はヤンゴン大学で心理学を専攻する。
「絵は趣味で描いていくつもりでした」。枯れたたたずまいに違わず、その口調も硬質な透明感をたたえていた。実際彼はその後も長く、アートとは関係のない仕事をしながら絵を描き続けた。

結婚が契機になり抽象表現主義へ

卒業を前にした1966年、彼は結婚する。結婚してから知るのだが、妻となった女性は、ミャンマー美術界において抽象表現主義グループを牽引する画家キンマウンインの姪だったのだ。
「当時、私自身は具象絵画しか描いていませんでした。しかし、キンマウンインとの出会いで、急速に抽象表現主義に傾倒していきました。自身の心の内から湧き出るインスピレーションをキャンバスの上に自由にぶちまけられる抽象画が、楽しくてならなかったのです」。

1960年代後半、ミャンマー美術界はモダンアートムーブメントのさなかにあった。アウンミンも1969年のアリアンスフランセーズを皮切りに、グループ展を重ねていく。1979年には、ヤンゴン大学の美術クラブのメンバーや卒業生が中心になって立ち上げたモダンアートグループ「ガンゴーヴィレッジ」に参加。同グループは近年に至るまで、ミャンマーのアートシーンを牽引していくことになる。

黒と赤は反体制の色!?

しかし、80年代に入り民主化運動の機運が高まってくると、1962年以来敷かれてきた検閲制度が厳しさを増し、とりわけ抽象絵画が狙い撃ちされていく。アウンミンは唇の端を少しあげてこう皮肉る。「まったく馬鹿げたことに、検閲官たちは芸術を理解できなかったのだよ」と。
「私は当時、黒や白の絵の具を好んで使っていました。それらの色は単純で純粋であるがゆえに、観るものに強いインパクトを与えることができるからです。しかし、彼らは黒、そして赤色を体制批判だと断じ、そうした絵を展示からはずすように強いてきました。私にはいかなる政治的意図もなかかったにもかかわらず、です」。
こうして、自由な表現の場の必要性を強く感じたアウンミンが開いたのが、先述した「インヤーアートギャラリー」だった。

  • 作品名:SEE THRU
    制作年:2018
    サイズ:132×112cm

  • 作品名:FLYING RED
    制作年:2018
    サイズ:107×107cm

  • (左)
    作品名:Pieces:部分
    制作年:2018
    サイズ:107×107cm
    (右)
    作品名:White is the white
    制作年:2019
    サイズ:133×107cm

  • 作品名:EX(00)
    制作年:2019
    サイズ:122×92cm

私のアートは政治的ではない

  • 作品名:Two and One
    制作年:2019
    サイズ:122×92cm

  • 作品名:The Intruders
    制作年:2010

軍事政権が芸術を圧迫すればするほどミャンマー美術界が反政府色を強めていったのに重なるように、1980年代後半以降の彼の作品からは、憤懣やるかたない怒りがほとばしるようになる。それでもなお、アウンミンは当時を振り返りこう言う。
「私は作品を通して、政治的な主張をしようと思ったことはありません。あの頃、私の怒りは等しく、外の世界全体へ向いていました。それもまた、自身の内なる声に耳を傾けた結果の表現なのです」。
90年代半ばにはインスタレーションやパフォーマンスアートにも手を染めていく。多くのアーティストが、検閲を逃れ得ない絵画からその場限りのパフォーマンスアートへと表現方法を模索しだした時代だった。国内での発表の場がますます限定的になる中、海外での展覧会やパフォーマンスの機会が増え、世界にアウンミンの名が知られるようになっていった。

やりたいことはひとつ

2012年に検閲が廃止され、2016年には文民政権が誕生した。アーティストたちはおよそ半世紀ぶりに、表現の自由を手に入れたのだ。しかし、それは政権への抵抗を創作活動のモチベーションにしてきた一部のアーティストたちにとっては、テーマを模索する時代が到来したともいえる。
しかし、アウンミンにとっては何も変わらないかもしれない。表現手段こそ具象から抽象、インスタレーションからパフォーマンスアートへと、取り巻く環境のなかで時に自発的、そして時に変遷を強いられてきた。でも今となってみれば、それは彼に様々な表現方法を授けてくれた50年ともいえる。やりたいことは常に、内なる声に耳を傾け、それを外へ向かってぶちまけることなのだから。彼が目指す地平には揺るぎがない。

  • 2019年1月に開催した、Myanm/artでの第17回個展

  • アトリエは、インヤーアートギャラリーの片隅にひっそりとある

DVD Magazine “Silence is Golden” より

文責: Maki Itasaka