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約束した時間に画廊に到着すると、休息中のマウンディ氏は鶏のから揚げをほおばっていた。こちらが挨拶をすると、人懐っこい笑顔を浮かべながらこう言った。「私は英語も日本語もできなくて申し訳ない。私の言葉はアートだ。これを習得するのはとても骨が折れるのだよ」。自分とそして社会と厳しく向き合いながら自分の美術を突き詰めていったマウンディ氏の生き方が凝縮された言葉だった。そして、彼の作品と同様に、受け手に対しても一種のプレッシャーとなるメッセージでもあった。
社会と人間の両方を見つめるマウンディ氏
作品について説明するマウンディ氏
1941年ミャンマー中部パコック生まれのマウンディ氏は、多くのユニークな経験をしている。漫画家やイラストレーターとして生計を立てていた時代もある。その中でも、彼の美術家としてのバックボーンのひとつは、幼少期に少年僧として過ごした僧院の経験にある。「人間には目があるが、実際にはよく物が見えていない。心の目で見ることが必要なのだ」。こうした考えは、目に映ることだけが本質ではないという仏教の色即是空の考え方と共通する。
5月にヤンゴンで開催した個展は、ミャンマーで縁起の良い鳥とされるフクロウをモチーフにしたものだ。大きな目をした、カラフルなフクロウの小ぶりな絵画が20点ほどひたすらギャラリーに並ぶ。「フクロウは夜目が効くので、見えないものを見る象徴として取り上げた」という。
作品のインスピレーションはたびたび、仏教の修行の中から生まれている。約10年前に発表した天秤をテーマにしたオブジェは、瞑想中に脳裏に浮かんできた巨大な天秤から着想したものだ。「瞑想する中でその天秤が浮かんできたときには、涙が止まらなかった」とマウンディ氏は振り返る。社会は天秤のように公正で、また平等であるべきで、「髪の毛一本ほど」でも偏りや先入観があると正しいものとはならない。しかしその一方で真の公正とは目に見えないものであるということにも気づいたからだという。
個展「アイズ・オブ・インナーマインド・シリーズ」ではフクロウをモチーフにした作品を出品
「セブンディケイズ」に出品したオブジェは、人間の心の不自由さを象徴している
2018年7月にヤンゴンで開かれた本格的な美術展「セブン・ディケイズ」には、牢獄の鉄格子を模したオブジェを出品した。金属のパイプで組み立てた鉄格子を十字にはめ込んだ作品だ。これを旧軍事政権への批判だと考えた来場者が多かったが、マウンディ氏の意図は別のところにもあった。「民主化したといっても、人間は『なんとかイズム』という主義主張に囚われている。心が自由ではないのだ」という。現代社会に疑問を投げかけながらも、最終的には人間の心の問題だという課題を観衆に突き付けている。
高齢にもかかわらず創作意欲にあふれるマウンディ氏
心の内面をテーマにするマウンディ氏の会話からは、古今東西、世界各国のニュースが飛び出す。「日本ではどうなのか」と多くの質問が口をつき、世界情勢へのあくなき好奇心があふれ出る。80歳を目の前にした今も、創作活動への意欲は衰えない。「じっくり考えるよりも、ぱっと思いつくインスピレーションのほうがいいものが多い」として、計画的に準備するというよりは、その時々の発想によって柔軟に作品を変化させていく。詩人や作家としても活動しており、訴えたいメッセージによって表現方法すら変える。それが彼の「アートの言葉」なのだろう。