ARTISTS
カンボジア人とは、いったい何者なのか。
外国人に聞けば、答えはきっとこんな3つのパターンにはまるだろう。「偉大なアンコール遺跡群を造った人々」、「ポル・ポト時代という人類史上まれにみる残虐な体験を生き抜いた人々」、「内戦と貧困から復興を遂げつつある人々」。
でもそのいずれもが、今のカンボジア社会を生きる彼らにとってはお仕着せの、1990年代からの、手垢のついたイメージでしかない。
彼らの本質は、もっとポップで、ユーモラスで、ドライで、現実的だ。
Khvay Samnangの作品には、古くて新しい社会問題をテーマにしながらも、どこか軽快でユーモラスなカンボジアの若い世代らしさを感じる。憤りや悲しみでさえ、エンターテインメントにして、分かりやすく伝えようとしている。
たとえばWhere is My Land? (2004)は、ダンサー、Nget Radyとのコラボレーション作品。プノンペンでは、開発用地を確保するために、かつてあった大きな湖が埋め立てられ、住民たちが排除された。この再開発は、住民たちの反対運動も起きて大きな社会問題となった。そのことを、実際に崩れ落ちた地面や建物、地面や泥沼に「しがみつく」ダンサーの肉体を通して表現した。
また、Samnang Cow Taxiシリーズは、アーティスト本人が水牛の角を模したかぶりものをつけて、リヤカーを街中で引くパフォーマンスだ。これは「開催地」によって具体的なテーマが変わってくるようだが、共通しているのは、効率や利便性ばかりもてはやされる現代社会の価値観に、カンボジアの伝統的な農作業を思わせる水牛と人力車で疑問を呈する、というものだ。日本の浅草でもリヤカーを引き、リヤカーに乗ってもらったり、写真を撮ったりしながら、街行く日本人たちとの対話を楽しんだという。
"Samnang Cow Taxi Moves Sand"
2011
Single-channel video, color, sound, 18’30”, looped
by Khvay Samnang
"Samnang Cow Taxi at Asakusa"
2010
Single-channel video, color, sound, 4’11”, looped
by Khvay Samnang
Samnangは、1982年、カンボジアのベトナム国境にあるスバイリエン州で生まれた。ただ、2歳のときには家族とともにプノンペンに移住したので、実質、プノンペン育ちといっていい。父は水道屋、母は市場の物売りだった。
勉強は得意ではなかった。でも絵が好きで、よく家の壁に絵を描いていた。学校ではその才能を発揮する美術の時間もなく、彼の能力は埋もれたままだった。それでもSamnangは「好きなこと」を続けた。「貧しい家だったが、両親は私に何かを押し付けるようなことはなく、やりたいことをやらせてくれた」ことが、彼の才能がつぶされなかった大きな要因だろう。
ある日、裁縫をしていた母を描いてみた。スケッチではなく、モノクロの抽象画になった。母に見せると、「なんて醜い絵! これは私じゃない」と嫌がった。でも、その絵は300ドルで売れた。「それから私は、母に作品をみせて、嫌がれば嫌がるほど『売れるぞ』と確信した」。Samnangは愉快そうに笑った。
Samnangは、分かっていたのだろう。居心地の良さが自分の求めるアートではない、と。そこに、見るものの心を揺さぶる何かがあるかどうかが、アートの本質であり、それを理解する人たちがこの世にはいるのだ、ということを。
Samnangの作品は、ダンサーとのコラボレ―ションや、自然の風景を利用したインスタレーション、写真、動画などさまざまな素材や手法を混合させる。しかし、共通しているのは「現場主義」であることだ。
西部コッコン州の少数民族の村に1年間住み込んで、人間性と環境汚染についての作品をつくったこともあった。プノンペン都心部にあった1960年代の建物、通称「ホワイト・ビルディング」取り壊しの際には、現場に何度も通い、住民たちとその部屋を撮影した。撮影は何度も拒否されたが、「彼らと語り合ううちに、記録に残さなくてはならないという思いが強くなった。それを彼らに告げて粘り強く理解を求めた」という。
「学びたい。知りたい。いくらでも学びたい。作品にきちんと語らせるためには、私自身がいっぱい知らないと、いけないんだ。だから直接現場に行き、人々に会い、話し、触れ、においをかぎ、知っていく。インターネットの情報や、だれかに聞いた話じゃない。自分の目で見ることが何より大切なんだ」
Samnangは、アートはある種の「ことば」だという。一種類の言語よりも、ずっと多様な人々にメッセージを伝えることができる特殊なことばだと考える。だから、美しく作れるとか、描けるとかいう技術的な才能だけではだめで、それを通して何を訴えたいのか、という知性が欠かせないのだという。「若いアーティストたちには、まず、勉強をしろと言いたい。特に歴史だ。アートに意味を持たせるために、知識や知性はアーティストにとって、とても大切なことだ」
Samnangは、作品とともに世界各地を飛び回っている。アートという世界共通の言語を手にした彼は、「等身大のカンボジア」の語り部だ。これからどんな手法で、変わりゆくカンボジア社会のどんな側面を照射していくのか、次の作品が楽しみだ。
"Human Nature"
2010-2011
Digital C-Print, 80 x 120 cm and 120 x 180 cm
by Khvay Samnang