Exhibitions
国際パフォーマンスアートフェスティバル「ゼロ・プラットフォーム2」
Dec 05 - Dec 08, 2018
発展途上国といわれる国々、とりわけ政治的な困難を抱えた国にはパフォーマンスアートの盛んなところが多い。ミャンマーもそのひとつだ。
2018年12月5~8日の期間、国際パフォーマンスアートフェスティバル「ゼロ・プラットフォーム2」がヤンゴンで開催された。昨年に続く2回目で、主催するのはミャンマーを代表するアーティストのひとりで、ギャラリー兼ワークショップ「ニューゼロアートスペース」の主宰者エイコー。昨年に引き続き、会場はドイツ政府が支援する国際文化交流センター「ゲーテ・インスティテュート」だ。屋内ホールと屋外ステージを行ったり来たりするスタイルをとった。
檀状の観客席がステージを囲むゲーテ・インスティテュートの前庭
参加したのは日本人の竹谷大介はじめ、ドイツやコロンビア、ベルギー、韓国など海外組10名と、国内から24名。ミャンマー人アーティストはテインリンやサンウーといったベテラン勢に加え、エイコーの教え子である若手たちだ。本稿ではミャンマー人アーティストに焦点をあてる。
今回のミャンマー人アーティストのパフォーマンスには、2つの傾向があった。ひとつは88世代(※)による、重く泥臭いリアルな怒りを感じさせるもの。もうひとつはパフォーマンスアートのセオリーに即さない、直截的な表現が目立つ若手のパフォーマンスだ。
地面にまき散らした米を這いつくばって口に含むスーミンテイン
自分で自分を拘束するカウンミャットウ
前者では弾圧や投獄といった彼ら自身に起こったリアルな現実が観る者皆の共通認識だけに、圧倒的な説得力があった。しかし、矛先が明確だったかつての時代に比べ、怒りのぶつけ先を決めかねているような迷いも感じた。
後者については、爆発寸前の焦燥感はわかるものの、その表現がダイレクトな自意識の発露にしか感じられず、個人的にはネガティブな感想をもっていた。しかし、日本から参加した竹谷は「ここまではっきり言ってしまっていいんだと、逆に目を開かせる思い」と評した。これには逆に、こちらがはっとさせられた。
唯一、日本から参加した竹谷大介のパフォーマンス
竹谷大介はワークショップの講師も務めた
こうした2つの潮流の間で、洗練された表現で目立ったのがアウンミャッティとコーゾーだ。
アウンミャッティは複数のロンジーを結んで作った輪の中に観客を誘い込み、周囲に釣られて引っ張り合ったり流れに身を任せたりしながら、社会の有様を提示。
コーゾーは自然の緑と水と空気を纏い、周囲に緩やかに花を咲かせていく静謐な世界を表現してみせた。
どちらも海外のフェスティバルにあったとしても見劣りするものではなかったが、その是非は、パフォーマンスアートに何を求めるかによって意見の分かれるところかもしれない。
個々人が異なる方向にひっぱると混乱し、調和すると停滞するロンジーの和 by アウンミャッティ
シリンダーの水を呼気が通過するゴボゴボという音だけが響く by コーゾー
そして今回、個人的に最も収穫と感じたのはタミージーだ。パフォーマンス自体はこれまでの彼女のスタイルで進む。縄で縛られ広場へ引きずり出される女、足を開いて座り込み、股の奥から血みどろの塊を取り出して植木鉢へ葬る。“産む性”としての女性の抑圧と苦闘を表現したとれる重い展開だ。しかし考えさせられたのは、パフォーマーとカメラマンとの距離だ。
日本なら、カメラマンはパフォーマンスの妨げにならないよう努めるし、カメラマン同士が配慮し合った位置取りをする。しかし今回の取材陣は、彼女が股間から血の塊を取り出すや皆で取り囲み、パパラッチよろしくローアングルでバシャバシャ撮り続けた。最初は遠慮がちだった者も集団心理が働いたのか、あっという間に彼女の姿はカメラマンたちに遮られて観客からは見えなくなってしまった。
その光景はまさに、女性の性を消費しようとする男性社会の縮図であり、メディアはあらかじめ用意されたパフォーマンスの1ピースとさえなっていた。タメージー自身はこの結末を予想したのだろうか。もしそうなら驚嘆に値する。
タミージーを無遠慮に間近に囲み、シャッターを押し続けるカメラマンたち
講師の話に熱心に聞き入るアーティストたち
今回のフェスティバルでは、海外から集結したアーティストたちが講師を務めるワークショップも実施した。朝から晩まで続くプログラムに飽くことなく熱心に聞き入っていた若手たちに、ミャンマーのアートシーンが変わっていく音が聞こえてくるようだった。
パフォーマンス終了後、参加者全員で記念撮影
この2年続けてのフェスティバルの成功に、ゲーテインスティテュートの果たした役割は計り知れない。悪く言えばセオリーを知らない、よく言えばセオリーにとらわれない爆発寸前の表現欲を内に抱えた若者たちが、こうした機会をえ得ることができた意義は計り知れない。来年の第3回における、彼らの成長を心待ちにしたい。