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アジア文脈のアートをベトナムから ハノイ・ビンコム現代美術センター芸術監督 遠藤水城氏

Vietnam

 「ベトナム人の美意識のクオリティが高いのは確かですね」――。ハノイにあるビンコム現代美術センターの芸術監督である遠藤水城氏の言葉は、ハノイやホーチミンの街を歩けばすぐに実感できる。センスのよいカフェは多いし、食器などもかわいいデザインのものによく出会う。これは19世紀後半から第二次世界大戦期までフランスの統治下であったことと無関係ではないだろうが、理由はそれだけではないのだろう。遠藤氏がこの地で模索するのは、アジア的な文脈を持つアートの発信だという。

  • ビンコム現代美術センター芸術監督の遠藤水城氏(同センター提供)

「経験したことのないベトナムだからこそできることがある」

 遠藤氏は若い時から、アジアとの縁があった。九州大学大学院での研究テーマは、フィリピンの現代文化だった。その後キュレーターとしてのキャリアを積みながらも、フィリピン、インドネシアなどを訪れ、仕事をしている。
 
 京都の東山アーティスツ・プレイスメント・サービスで活動していたころ、遠藤氏のもとに突然「ハノイで芸術監督をしないか」というオファーが舞い込んだ。知人のシンガポール国立美術館の学芸員の紹介だという。ベトナム美術に詳しいわけではなかったが、「これまで経験したことのない社会主義国ベトナムでは、これまでに違うことができるかもしれない」。そう考えた遠藤氏は2017年初め、ハノイに降り立ち、新設のアートスペースの立ち上げに参画したのだ。
 
 遠藤氏が働くビンコム現代美術センターは、ハノイの代表的なショッピングセンターに入居し、1700平方メートルの展示スペースを持つ巨大な施設だ。入場は無料で1日300人から2000人が訪れる。20人ほどのスタッフのうち、美術の素養があるのは遠藤氏ひとり。作品の展示の仕方や、ライトの当て方など「基本の基本」から、じっくりと教えていった。

  • ビンコム現代美術センターの大きなスペースを生かした展示を実現(同センター提供)

 遠藤氏らは2017年6月の同センターのオープンからこれまで、大小約20の展示会を企画した。ベトナムの人気童話「こおろぎ少年大ぼうけん」の原画展には、30万人が足を運んだ。市民団体などと協力して子供向けに環境問題を訴える展覧会や、ベトナム戦争をテーマにした展示会も行っている。

  • 1日300~2000人が訪れるビンコム現代美術センターの展覧会(同センター提供)

若手作家に世界を体験する機会を

 遠藤氏が昨年から力を入れているのは、ベトナムの若手作家を育成するプロジェクトだ。幅広い分野から若手のアーティスト10人を選抜して、国内と国外で経験を積んでもらう2年間のプログラムになっている。まずベトナム国内で、森美術館館長の片岡真実氏ら国際的な美術専門家やアーティストを招いて、15から20回のレクチャーを重ねる。そして同センターでグループ展を開いたのち、一か月ほど海外で研修する内容だ。

  • 会場に花を敷き詰めたこともある(同センター提供)

 遠藤氏は「ベトナムでは世界の情報が少ない。また、ビザの取得も困難なため、独力では海外で美術を学ぶことは難しい」と強調する。ベトナムの美大などの教育がアカデミズムに偏りすぎているため、世界の実務家と触れることで地に足の着いた視野を持ってもらう狙いもあるという。参加者はすでに、ドイツやインドネシアなどで研修を経験している。

西と東、伝統と現代が融合するベトナム

 遠藤氏によると、ベトナムの美術界には2つの大きな流れがある。ひとつは、フランスのアンスティチュ・フランセやドイツのゲーテ・インスティトゥート、日本の国際交流基金など海外の機関の助成で活動する作家たちで、欧米の価値観を色濃く反映している。もうひとつは、ベトナムの国家的な文化事業に参加する、公的な色彩の強い作家たちだ。遠藤氏が率いるビンコム現代美術センターは、この両方を取り上げることを目指すという。そのバランスもとりつつ、新しいものを発見しようとしている。

  • ベトナム人の若手作家の育成に力を入れる遠藤水城氏(同センター提供)

 観光客に人気のベトナム伝統の陶芸品「バッチャン焼き」は近年、その金魚やトンボなど伝統的な意匠がコーヒーカップなど現代風に加工され、新たなマーケットを開拓している。こうしたベトナムの伝統文化を遠藤氏は「アクティブな文化」と表現する。日本には残念ながら、補助金なしでは成り立たないために、伝統の枠から抜け出せなくなっている伝統工芸も少なくない。しかし、ベトナムでは伝統工芸を現代的に昇華させ、ビジネスとして成功している。遠藤氏は「現代美術が欧米からもたらされたものだとするならば、地元のアクティブな伝統文化と結びつくのが最も幸福な結婚だ」と考える。
 
 遠藤氏の話を聞いていると、日本的なものというより、日本を包含したアジア的なものへの思い入れが強いように感じられる。アジアという言葉自体も、多様なものが集まった概念である。遠藤氏の目指す「アジアを背負った現代美術」も、この地の伝統文化の持つエネルギーや、ベトナムの社会状況の中での作家の思い、そして外国人であり日本人である遠藤氏のもたらす新しい感覚など、雑多なものの中から生まれてくるに違いない。

文責: Yuki Kitazumi