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ガタリ・スルヤ・クスマ(Gatari Surya Kusuma)/ 訳:藪本 雄登
ジャカルタには、2000年に設立されたコレクティヴ「ルアンルパ」(ruangrupa)が活動している。当時のルアンルパ(ruangrupa)の精神は、商業ギャラリーやその品質基準から疎外されていた若いアーティストのためのスペースを作ることであった。その後、ルアンルパは、失敗事例の蓄積や実験的な試みを行うためのスペースを空けておく集団として存在している。彼らは、従来のルールを破り、間違いや失敗の余地を与えるために、若者の精神を持って定期的に展覧会に参加している。
その少し東側には、ルアン・メス56 (Ruang MES56、2002年)とクンチスタディー・フォーラム&コレクティヴ(KUNCI Cultural Studies Center、現在のKUNCI Study Forum & Collective)(1999年)がある。ルアン・メス56は、インドネシア・ニューアート・ムーブメントと同様の精神を持っており、インドネシア国立芸術学院ジョグジャカルタ校で、特に基準や定義が困難で、単なる美の定義に陥りがちな写真分野に挑戦している。ルアン・メス56は、アートの世界で写真が考慮に入ることができるようになりたいという野心を持って活動している。したがって、彼らの集団的な方法は、写真を表現手段とした実験的制作のための空間を提供し続け、写真をアートに取り入れるための適切な環境を発掘することにある。
ルアン・メス56に加えて、クンチスタディー・フォーラム&コレクティヴ(KUNCI Study Forum & Collective、旧名:KUNCI Cultural Studies Center)がある。クンチのコレクティブ活動は、出版の意図から始まったものである。クンチは、新秩序の時代が崩壊した後に活発化した。クンチの存在は、自由への賛美であるとも言える。前述したように、新秩序時代には、集団で集まること、集団を作ることは野蛮な組織とみなされ、暴力で排除される可能性があった。だからこそ、「許可を得る」ことなく集団を形成し、出版物を発行することは、クンチが選んだ自由の謳歌だったのである。
三つのコレクティブが、ジャワ島には存在する。植民地時代から、インドネシアではジャワ島と他の島の間で不平等な情報交換が行われてきた。ジャワ島が中心で、ジャワ島で起こることはすべて、他の島で起こることの基準になると考えられている。しかし、実際にはその逆だ。ジャワ島と他の島には、比類のない特有な能力、個性、性質がある。
スラウェシ島、特に、マカッサルに「タナヒンディ」(Tanahindie)というコレクティヴが活動している。タナヒンディは、新秩序の時代が終わった直後の1999年に発足した。新秩序の時代には、報道の自由も制限されており、政府の管理下にあるチャンネルだけが自由にニュースを流すことができた。政府以外のチャンネルの声は野暮なものだと思われていた。しかも、ニュースはジャワ島で起こったことだけを取り上げていた。タナヒンディは、パブリック・ジャーナリズムの実践を始めようという集団的な精神を持って登場した。彼らはパブリック・ジャーナリズム(市民ジャーナリズム)を実践し、一般市民にとっても、メディアがニュースを減らすことを要求されることなく、自分たちの環境で起こっていることを報告する場となるような空間を提供している。
このように、同じような精神パターンを持つ集団は似通っている。彼らの集団運動の根底にあるのは、同じ政権に対する闘争である。明らかに、これらの集団による運動の遂行方法は、インキュベーション・スペースとして見ることはできない。彼らの存在は、発生している社会的状況に対する表れまたは反応である。おそらく、物を制作して展示するギャラリーや博物館の論理でコレクティヴを見るのは少し難しく、彼らは、時代の発展とともに動き続け、適応していくであろう。しかしながら、彼らの闘争が終わりを告げる必要があると感じたとき、集団は停止する時がきっと来るのであろう。
Kunci 20th Birthday
2009年から2010年にかけて現在に至るまで、ポスト新秩序のコレクティヴの出現とその反響は、若いアーティストたちに、画廊や施設へのアプローチ以外に、アートを実践するための別の新しいスタイルや選択肢を提供しているように思える。アート・コレクティヴとその「家」は、若いアーティストにとってのオルタナティブ・スペース(多目的空間)である。彼らは、生き延びるための戦略として、コレクティヴが自由と選ぶべき手段を提供してくれると考えている。加えて、アート・コレクティヴは、学生の思想や表現の自由に対応できない教師、時代遅れの学習カリキュラム、学生がキャンパスの外で独立したネットワークを構築するためのアクセスの欠如など、キャンパス内で起こるアカデミックな不安に対する答えも提供している。そして、これらのニーズは、多かれ少なかれ、アート・コレクティヴの存在によって満たされている。アート・コレクティヴはもともとこれらの要求に基づいて結成されているのだから、これは賢明なことである。
この直近の5年間、インドネシアで繰り返される社会的・生態学的不正義を語るための無数の議論の場があったとき、アートコレクティヴの言説の動きも拡大したと感じている。そのきっかけとなったのは、北半球における気候危機の言説と、その結果として南半球も生態系や社会的不公正に耐えているという事実である。同様に、アートコレクティヴの中で巡る言説も拡大している。彼らは、もはやアートを中心として据えるのではなく、アートや文化作品を言語や運動の手段として拡大しているのだ。実はこの価値観はレクラからも提案されていたのだが、レクラのメンバーの知的財産の痕跡がすべて消されてしまったため、きちんと議論されることはなかった。
私の記憶するところでは、この価値観もコレクティヴィズムに組み入れたグループがいくつかあったはずである。実際、この不正な状況に対応する必要性に基づいて、新たなコレクティヴの兆候も生まれた。これは避けられないことである。冒頭の私の質問、「時代の変化の中で課題が発生するたびにアート・コレクティヴの機能は変化してきたのか。」に答えるのなら、もしかしたらこれが答え、もしくは、ヒントになるかもしれない。
それは、モシントゥウ研究所(Mosintuwu Institute)から始まった。モシントゥウ研究所は、インドネシアの中央スラウェシ州ポソにある協会で、ポソにおける宗教に基づく暴力の紛争と紛争後の傷跡の中で、平和維持活動の一形態として登場した。この団体は2009年にスタートした。主なプログラムは、母親と子どもを集め、彼らの回復のためのプロセスをサポートすることである。これは、1998年にポソで起きた暴力(政権改革と同時期)により、深い傷が残り、長期にわたるトラウマとなったことを受けたものである。彼らはアートと文化を主な方法として用いている。モシントゥウ研究所は、現在インドネシアで起こり、進化しているアート・コレクティヴィズムの一部として絶対的に捉える必要がある。例えば、紛争後の癒しの方法のひとつとして、母親や子どもたちに自信を回復するためのストーリーテリングのワークショップを行っている。アートはもはや単一の作品としてではなく、日常生活と切り離すことのできない文化的作品の手法や延長線上にあるものとして捉えられている。
さらに、近いところでいえば、インドネシアのスラウェシ島中部、パルにある「フォーラム・スドゥット・パンダン」(Forum Sudut Pandang)がある。彼らは、2018年の大地震と津波の後に活動していたパルの若者たちのグループである。彼らは、すなわち、自然災害が起こりやすい地域に住む住民として、災害軽減に関する知識が不足しているという一つのことに気づいた。言うまでもなく、中央集権の問題である。そこで、フォーラム・スドゥット・パンダンは、共同作業を始めるにあたり、芸術的・文化的アプローチを用いた。彼らは作品を制作するだけでなく、芸術文化のアイデアや実践を用いて、災害軽減の知識を広め、地域のエコシステム・ネットワークを強化するための空間を、特に芸術文化の領域で作り出ている。
同様のことは、東ヌサ・トゥンガラ州南中央ティモールのタイフトゥブ (Taiftob)で芸術文化分野で活動する若者のグループ、ラコート・クジャワ(Lakoat Kujawas)も行っている。彼らには、グループとして独自の戦略を構築するという情熱がある。この取り組みも、ジャワ島の中央集権化により、他の島々が権利や情報を平等に得られなくなったために生まれたものである。言うまでもなく、新秩序政府もこの不平等を悪化させる要因となった。特には、食料の面である。スハルトは、自分の政権が指定した種子以外のものを植えることを禁止している。この規制は、地方固有の知(ローカル•ナレッジ)の欠如をもたらし、住民は仕事を見つけるために中央や都市に依存するようになってしまった。この問題に反して、ラコート・クジャワは、自立するための方法を共同で考え、自分たちのグループを強化するためのネットワークを作るために、文化的なアート活動を展開している。
インドネシアの東ジャワに、トゥルンガグンという街がある。この街はジャワ島にあるにもかかわらず、特にアート面での権利やインフラが均等ではないという問題がある。グルン・タカー(Gulung Tukar)は、より持続可能な芸術文化のエコシステムを始めることを目的とした文化芸術グループとして登場した。彼らは、ジャカルタやジョグジャカルタのような中央のアート・エコシステムに依存しないように、自分たちのエコシステムを作ろうとしている。彼らの様々な活動は、地域の文化的なルーツからも出発しており、中央が行う流れには従わないようにしている点が興味深い。
Screening Movie Gulung Tukar
ジョグジャカルタに戻ると、バクダパン食研究グループ(Bakudapan Food Study Group)という、食の問題と政治・歴史・文化との関係に焦点を当てたアート文化・コレクティヴが活動する。アート作品を制作するだけでなく、地域の人々と共に料理のワークショップを開催したり、絵を描いたり、食の問題について議論したりするなど、文化的な活動も積極的に行っている。彼らはアートを表現手段として物語を語り、普段は簡単に話し合えないようなテーマについても話し合える環境を構築している。
現在、ルアンルパはメタ集団である「グッドスクル・エコシステム(Gudskul Ecosystem)」へと発展している。グッドスクル・エコシステムは、様々なコレクティヴで構成されている。彼らは、メンバーが選択する表現手段を決して制限していない。実験的制作のためのスペースを創り続けることを重視しているのも、グッドスクル・エコシステムの特徴のひとつである。プログラムの多くの焦点のうちの一つは、彼らの所在地近くの都市部の農家との協力である。例えば、南ジャカルタのジャガカルサにある農家との共同作業である。その背景には、首都ジャカルタでも食料への権利に不公平が生じているという事実がある。そして、文化的存在であるグッドスクルもまた、自分たちの周りで起きている不平等を見て見ぬふりをすることはできない。そこでグッドスクルは、都市部の農民共同体であるセララサ(Selarasa)と共同で、都市部の農民を対象としたフランチャイズスペースと食品市場の流通を開始した。
しかしながら、私のこの著述の最後に、アートコレクティヴの定義を作品の生産性の尺度に限定しないことを再確認しておきたい。というのも、アートコレクティヴには、公共の場では目に見えない公共のメンテナンス作業でもあるからである。これらのメンテナンス作業は、アート・コレクティヴの持続可能性に重要な役割を果たす。また、文化は私たちの日常生活の中では異質であったり、それに限定されるものではない。文化、そして、アートは、上記のようなコレクティヴを結びつける主要な言語なのではないだろうか
上記の問いに立ち返るとすれば、アートの機能は力強いものであり、アート・コレクティヴもまた、社会の中での自分の役割や立場を理解し、価値を実現していかなければならない。アート・コレクティヴは、もはや公共の場における生産的な作品とは見なされない。権利の問題や不平等が起こり続けていることを深く考えればである。レクラやインドネシアのニュー・アート・ムーブメントが提唱した精神をもう一度引用すると、アートは単一の物語で構成されてはならず、また、アートは、その場所の文脈の中において、地域社会に開かれたものでなければならない。
参考文献
・Kerns Virginia 1997「Women and the Ancestors」United States of America イリノイ大学出版
・土屋賢二 2019「Demokrasi dan Kepemimpinan:Kebangkitan Gerakan Taman Siswa」Jakarta バライ・プスタカ
・Widuretno Diah 2017「Gesang di Lahan Gersang」Yogyakarta
・Berlant Lauren 2016「The Commons: Infrastructure for Troubling Times」University of Chicago SAGE 出版
・Sekolah Salah Didik 2019「Sekolah Salah Didik Uji Coba」Yogyakarta KUNCI 出版
Gatari Surya Kusuma
ガタリ・スルヤ・クスマ(Gatari Surya Kusuma)
ガタリは、インドネシア・ジョグジャカルタを拠点に活動するアートリサーチャー、ライター、キュレーターである。2016年に Indonesian Institute of the Artの写真学科を卒業した後、彼女は自身のグループである KUNCI Study Forum & Collective で多くのアクションリサーチを深めている。また、「Bakudapan Food Study Group」という食の研究集団での活動を通じて、食に関する芸術的な制作や民族誌的な研究を行っている。現在、エコロジー、批判的教育学、集団主義の分野で多くの活動を行っている。