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著者: ミンミャットゥ(Myint Myat Thu)/ 訳:藪本 雄登
ミンガラドン郡区のスタジオで自身の彫刻「Family #005」の横に立つソニー・ナイン氏
美徳は、悪魔的行為を芸術の中で不死化することで保たれる。『マクベス』の苦悩に満ちたセリフや、アジャータサットゥ王が王位欲しさに自分の父親を拷問して死に至らしめるといった、すべての不快なシーンのように、ソニー・ナインの彫刻作品『Thorn』(棘)(2007年)は、人間が自分の種族に対して犯すあまりにもひどい犯罪を、よく知られた鋳造方法で表現している。尖ったナイフのような巨大な平面が、鉄の棒と板の集合体である本体を切り裂いている。これは、作品の性質上、様々なことを象徴することができたり、単に抽象的なものであったりする。ソニー・ナインはこの形を“Ami Myanmar Pyi”(私たちの母なる国ミャンマー)と認識する。その母国の姿は、何十年もの間にわたる心に刺さった棘だけでなく、脳裏に刻まれた銃のトラウマによって骨同然にまで萎縮してしまった。
ソニー・ナインの彫刻の強みは、モダニズム、特に空白部分へのこだわりによって、それらが具現化している自然、素材、そして私たちの社会の本質的な真実の強さに感じられる。2017年に発表された作品『The Pillar』は、4本の高い脚の上に乗った2つの長方形(そのうちの1つには、枠の穴の中に小さな円弧状のパーツが付いている)がバランスよく配置されており、プラトンの「家族のバランスは、より大きな世界のバランスのモデルである」という考えを支持している。彼は流木を見つけるとこう言う。「その不規則なコースに沿って、全ての激しく穏やかな性質の流れによって洗練され、もうそれ自体が完成している。」彼は、その長さに沿って「空間」を足し合わせることで、流木の勇敢さの中にある美しさを称えた。
The Pillar, 2017
Metal Sculpture, H-19 inches
しかし、ミャンマーで数少ない有名な現代彫刻家の作品が最も印象的で複雑なのは、ハードな政治的内容を取り上げたときである。多くのミャンマー人にとって、『Thorn』の陰影の中に、不安定で、恐怖に怯え、人権のない自分達の故郷を見いだすことは容易である。そして、2018年に発表した作品『Two Forms』は、プレス加工された缶の重い立方体と、細い金属棒をつなぎ合わせて形作られた単なる立方体の輪郭が、2つの神聖な存在のようにそれぞれの柱の上で隣り合って立っている。これにより、より重力を感じさせる。「ひとつの可能性として、この彫刻全体は、2015年の総選挙後にようやく文民政府に移管された、まるで立方体の輪郭のように空虚な権力と、軍部の手にある必殺の実行力とを対比させている。」とソニー・ナインは言う。しかし、『Two Forms』は、持てる者と持たざる者がお互いの人生を認識する2つの方法という、社会的なものを伝えている可能性もある。「私は、定義を与えることで、作品を見る人の認識を制限したくない。」とナインは付け加える。
抽象的な彫刻家が作品に託すものは無限にあるだろうが、説明のつかないものを作ることは、デリケートなテーマをストレートに表現することよりも、ミャンマーでは安全ではない。ソニー・ナインは、2010年に Moema Kha Gallery で開催された展覧会で、かつてミャンマーのアートシーンをおびやかしていた強力な検閲機関から、禁じられた政治的表現をしていると不当に非難された。彼らは、『Pure Form #1』の中に「踊る孔雀」を見たと主張したが、実際にはソニー・ナインが(金属と空間の)三角形の平面を使って悪気なく実験的な制作をしていたのである。このような状況では、普段は控えめなアーティストが、疑心暗鬼に陥っている検閲当局の人々に対して、1時間近くも『Pure Form #1』の裏表を説明しなければならなかった。
アメリカの情報部に20 年間勤務していたソニー・ナインは、そのことを思い出したとき、当時も今も変わらないはっきりとした口調でゆっくりと話し、落ち着いて冷静な態度で、このような事態をうまく切り抜けていたことが想像できるだろう。そしてもちろん間違いなく、その時も忍耐強くはあったのだろうが、軍事クーデターのような最悪の事態だけはナインを完全に当惑させるようだ。ミャンマー軍が今年2月1日にクーデターを起こし、選挙で選ばれた文民政府を倒してから14日目にあたる今年のバレンタインデーに行われたインタビューの中で、彼はその時の心境をそう語った。
不名誉な日は、ミャンマーで3度目の軍事クーデターを開始した。1949年生まれのソニー・ナインは、同じ筋書きで新旧の軍人が入り乱れて母なる大地を荒らすすべての悪夢を経験してきた。1988年の軍事クーデターは、彼の描いた絵『His Master Voice』で1年前に不気味に予見することができた。古典的な緑の衣装を着た女性が、隣にいる人間と同じ大きさの緑色の毛の猿が流すレコードを熱心に聴いているのだ。『His Master Voice』は、ビルマの言い回しで「古いレコードをかける」という、人々が過去を振り返るときに使われる言葉から着想を得ているが、ミャンマーにおけるすべての軍事クーデターの声明、発表、演説が1962年以降変わらないボキャブラリーで構成されていることを考えると、偶然ではなく、予知的な作品であるといえる。
His Master’s Voice, 1987
それは、私たちの社会における遺伝継承の役割を説明するものだ。有名なボクサーだったソニー・ナインの父、カール・バー・ナインは芸術に造詣が深く、「ボクシングは芸術の一種である」と考えていた。1964年に素晴らしいボクシングをする姿の父の胸像が家に届いたとき、ソニー・ナインの芸術への傾倒はすでに確認されており、彼は当時見た「奇跡」がどのようにして実現されたのか、その方法を一日中考えていた。「私はその時、自分がどれほどそのことを知りたいかを誰にも言わなかった。その時は誰にも言わず、自分の胸にしまっておいた。」とソニー・ナインは言う。その結果、彼はほどなくしてラングーン(現ヤンゴン)の国立美術学校( the State School of Fine Arts )に入学し、彫刻を専攻することになったのである。
インタビュー中に頻繁に登場したのは、ミャンマーにおけるモダニズムの創始者の一人であるバギアウン・ソーの名前で、ソニー・ナインは彼に大きな恩義を感じている。「彼は、私の形成期に、芸術に関する基本的な知識や洞察力を多く与えてくれた。例えば、‘彫刻における空白部分の力’についてで、私がその力を知ることができたのは、彼のかけがえのない偉大な指導のおかげだ。」とソニー・ナインは語った。
「最初に会ったとき、“彫刻とは何か”と聞かれたが、彫刻とは、木や金属などを使って作るものです。」と答えても納得してもらえず、「もう一度調べてみて。」と言われた。1972年当時は、画材が簡単に手に入る時代ではなかった。幸運にも、ハーバート・リードの『芸術の意味』が街の小さな本屋に陳列されているのを見つけた。一人の人間の一日の収入が平均3チャットの時代に、一度に5チャットでこの本を買い、早速バスでアウン・ソーの家に駆けつけた。「彫刻とは三次元の物体のことです。」習ったばかりの彫刻の意味を彼に伝えた。この彫刻における空間の考え方は、私のものの見方を一変させた。
Noble, (Model: 2008)
Size: H - 42 inches
ソニー・ナインの最新の彫刻作品『Noble』には課題がある。古い型に見える自転車が、良い自転車の特徴をすべて備えた鮮やかな黄色の作品として変身を遂げたが、シートとペダルの表面に固く取り付けられた針状の金属棒の群れによって、その運動性は低下している。ソニー・ナインの言葉を借りれば、「自転車は75%使えるが、乗りにくくなっている。歩いてそれと一緒に移動することを選択しても、行きたいところには思いどおりに速くは行けない。」『Noble』は、移動可能で機能的なオブジェである彫刻の別の領域に私たちを連れて行くだけでなく、独裁者が選挙で選ばれた政府を転覆させるまで、議会の4分の1の議席が軍人のために確保されていた、過去5年間に袂を分かったミャンマーの議会の高尚なメタファーを提供してくれている。『Noble』は、「彫刻とは何か」「ソニー・ナインとは何者か」という会話を始めるべき場所であり、ミャンマーの政治とは何かであり、『Noble』は歴史を作るのである。
著者: ミンミャットゥ(Myint Myat Thu)
ミンミャットゥは、文化研究者であり、美術評論家であり、フリーランス・ジャーナリストです。彼女の執筆記事は、これまでの提携先である「ミャンマー・タイムズ」(英語語版)、「イラワディ」(英語語版)、「ASEF Culture 360」(アジア・ヨーロッパ財団)のほか、ミャンマーでの一流英字雑誌「フロンティア・ミャンマー」でも定期掲載されています。