ARTISTS

リノ・ブーズ:カンボジアの現代アートを支えて10年

Vuth Lyno
Cambodia

木村 文

Sa Sa Art Projects の創設者のひとり
現代アート作家・研究者:リノ・ブーズ( Vuth Lyno

 
カンボジアで現代アートの担い手たちを支援しているSa Sa アートプロジェクトが、首都プノンペンで国内外の作品の展覧会とオークションを開いている。新型コロナウイルスの感染予防の目的もあり、オークションはオンラインでも開設されており、どこからでも参加できる形になっている(givergy.us/sasa2020)。展覧会は、11月30日まで、オークションは12月4日まで受け付けている。

  • ファクトリー・プノンペンで開催された展覧会の様子

Sa Sa Art Project :http://www.sasaart.info/index.htm
フェイスブックページ:https://www.facebook.com/sasaartprojects
オークションページ:https://givergy.us/sasa2020
(会場)Factory Phnom Penh :https://factoryphnompenh.com/

  • オンライン・オークションのページ(スクリーンショット)

●活動の広がり示す参加者数

会場の「FACTORYプノンペン」は、工場跡地を展示・イベントスペースやコワーキングスペースに改装したユニークな施設だ。Sa Sa は、ここにカンボジア国内と、タイ、ベトナム、インドネシア、ミャンマーなどアジア各地の作家による現代アート45点を集め、オークションを開いている。また、38人の若手カンボジア人作家による作品も展示即売している。

オークション対象の作品は、絵画、写真、インスタレーションなど様々。国際的な美術展で注目されている作家の作品もある。売上は50%が作家に、50%がSa Sa の活動資金となる。

Sa Sa の創設者のひとりで、自身も現代アートの作家・研究者であるリノ・ブーズさん(38)によると、2010年、Sa Sa の「始まり」もオークションだった。「10年前は30人のカンボジア人作家の作品でスタートした。それが今回は国内54人、海外30人の作家の作品を集めることができた。このオークションは、10年で私たちの活動がどのように広がったのかを示す成長の軌跡で、とても感慨深い」と、言う。人数や作品が増えたことだけではない。国を越えてアートで作家同士がつながったことにも感動したという。

ただし、カンボジアにおいて、現代アートを支え、育てるコミュニティはまだ「とても小さい」という。芸術家たちが育つには、その思いを受けとめる人々がいなくてはならない。語りかける言葉を、受けとめ、聴こうとするコミュニティが育つ必要がある。それは同時に、作家たちの活動を経済的に支えるマーケットでもある。Sa Saは、芸術家たちとコミュニティの橋渡しをしようと生まれた活動だ。こうした展示会を通して、できるだけ多くの人がアートに触れて理解を深めてくれればうれしい、とリノさんは言う。
 

WORKS

  • Vuth Lyno
    Light Voice, 2015
    Site specific installation, motion censor, LED light, radio, speaker
    Dimension variable
    Unique edition

●現代芸術が育てる力

現代アートの歴史も研究しているリノさんによると、内戦後のカンボジアが世界に発信した「アート」として大きな話題を呼んだのは、ポル・ポト時代の収容所で撮影された人々の写真展だったという。1997年にアメリカ・ニューヨークの現代美術館(MoMA)で開催された「S21からの写真:1975―1979」は、それを芸術と呼ぶのが適切かどうか、という議論も含めて注目された。

S21は、1975年から1979年の間にカンボジアを支配したポル・ポト派政権が開設したプノンペンにある「政治犯」収容所だ。わずか4年弱の間に、記録が残っているだけで約12,000人が無実の罪で収容され、拷問を受け、郊外の処刑地で惨殺された。当時、連行された人々は何も告げられないまま正面から顔写真を撮られた。MoMA で展示された写真には、これから何が起きるのか分からず不安におびえる表情が映っている。

この収容所に連行されながら生き延びた人はわずか7人といわれ、政権崩壊後、そのうちのひとりであるワン・ナットさん(1946~2011)が収容所での様子を描き続けた。拷問や、収容の様子など非人道的な収容所の内部を生々しく描いた絵画は、作品であると同時に貴重な歴史的記録であり、収容所跡地に開設された「トゥールスレン虐殺博物館」に展示されている。リノさんはこれもカンボジア現代アートのひとつと考える。

1970年代からポル・ポト時代を含めて20年余りもの間、対立と衝突を繰り返してきたカンボジアは、内戦前にこの国に築かれていたアジア最先端の文化や芸術を無残に破壊してしまった。その「芸術復興」の第一歩が、人類史上まれにみる残虐な時代を写真や絵画として記録したものだった、というのは皮肉なことだったかもしれない。

しかし逆にいえば、長い内戦や悲惨な経験の中にあっても、人間は、頭と心に刻み込まれたその激しい痛みを表現する力を持っていた、ということだ。何のためにそうするのか、といえば、それは過去を乗り越え、「未来に希望を持つためだ」と、リノさんは言う。

「現代アートは人間が生み出すものだから、自分たちが生きる社会の姿を映し出すのは当然だ」と、リノさんは言う。今回の展示にも、急激な経済成長の陰で起きている環境破壊や貧困といった社会問題をテーマにした作品がみられる。「アートを通して、社会を見る目、考える力、分析する力を養う。それを自分の感覚で自由に表現する。そういった創作活動を重ねていくなかで、人は、自分で自分の未来を考え、選びとる力をも養っていくのではないかと思う」

WORKS

  • Vuth Lyno
    The Flying Man, 2012
    Digital C-Print
    180 x 60 cm
    Edition of 4 + AP

  • Vuth Lyno
    The Babysitter, 2013
    Digital C-Print
    180 x 60 cm
    Edition of 4 + AP

  • Vuth Lyno
    The Door Knocker, 2012
    Digital C-Print
    180 x 60 cm
    Edition of 4 + AP

●芸術を通して多様性を受け容れる社会へ

「ただ、現代アートは必ず社会や政治といったものを反映しなくてはならない、というものではない。現実を超越したものでももちろん、いいわけだ」と、リノさんは言う。「つまり、アートも社会も、最も重要なのは多様性を受け容れることだ。考え方も、感じ方も、表現方法も無限にある。無限の可能性を受け容れる余地を持つことで、社会は豊かに輝く」

現在のカンボジアは、表現の自由に対して必ずしも寛容とはいえない。特に政治や社会に関する発言は控えざるを得ないことも多い。しかしリノさんは、そんなときこそアートがコミュニケーションの手段になると考える。「芸術は直接の批判や主張ではなく、作家の感性を通して間接的にさまざまな事象やメッセージを表現する」。見る側の心にどう届くのか、それは見る側の感性に委ねられる。芸術作品を介した感性と感性のコミュニケーションである。ストレートな言葉やビジュアルのやり取りではないからこそ、届けられるメッセージがある、とリノさんは考える。

2020年初頭から猛威をふるった新型コロナウイルスにより、世界中でさまざまな芸術活動が制限を受けた。欧州がパンデミックのさなかにあった5月、ドイツのメルケル首相は「ドイツ政府は芸術支援を優先順位の一番に置いている」として、コロナ禍にあっても文化は人間にとって不可欠な要素だとの考えを示し、世界に注目された。しかし、ドイツのような考え方は珍しく、多くの国がいまだに芸術活動の優先順位は高くはないのが現実だろう。特にカンボジアのような新興国においては、コロナ禍に限らず、平時においても芸術活動の優先順位は高くはない。

「この国で、ましてやコロナ禍において、芸術が優先順位の一番ではないことはよくわかっている。でも考えてみてほしい。文化や芸術がなかったら私たちはどうなるか。社会はどんな色になるか。感情を封じられ、表現することを許されない社会に私たちは生きていけるだろうか」。リノさんの言葉は、メルケル首相の言葉と重なる。

「私たちは、こうした時代になってやっと、⾃分たちから失われたものの⼤切さに気づくようになるのかもしれません。なぜなら、アーティストと観客との相互作⽤のなかで、⾃分⾃⾝の⼈⽣に⽬を向けるというまったく新しい 視点が⽣まれるからです。私たちは様々な⼼の動きと向き合うようになり、自ら感情や新しい考えを育み、また興味深い論争や議論を始める⼼構えをします。私たちは(芸術⽂化によって)過去をよりよく理解し、またまったく新しい眼差しで未来へ⽬を向けることもできるのです」(「美術手帖」のホームページhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/21933 より)。

「芸術活動は人間に、未来への希望を抱くためのエネルギーを生み出す。未来を信じ、希望を持つことは人間にとっても、社会にとっても大切なことだ」と、リノさんは言う。作品一つひとつが放つメッセージとそのエネルギーを、しっかりと受けとめたい。

WORKS

  • Vuth Lyno
    Rise and Fall, 2012
    Metal, wood, two-channel sound

  • Vuth Lyno
    House – Spirit, 2018
    4 x 2 x 2 m
    Installation view, APT9, 2018, GOMA.
    Collection of Queensland Art Gallery | Gallery of Modern Art. Photograph: Natasha Harth

  • Vuth Lyno
    Sala Samnak, 2020.
    Neon light installation, 300 x 225 x 150 cm.
    Installation view, Mirage Contemporary Art Space, Siem Reap, 2020



著者:木村 文
1966年、群馬生まれ。
国際基督教大学卒業後、米インディアナ大学ジャーナリズム学科で修士号取得。1992年、朝日新聞入社。山形、山口支局を経て、沖縄タイムス社に出向。2000年より朝日新聞アジア総局(バンコク)特派員。2006年よりマニラ支局長。2008年退社、翌年よりカンボジア在住。
2013年、同国にてフリーペーパー「プノン」創刊(発行人・編集長)朝日新聞GLOBE+などにコラム執筆中。

文責: Aya Kimura