COLLECTIONS
Across the Forest, 2014, 4-channel video with sound 18 minutes, edition 2/5 + 1 AP
All images courtesy of the artist
Across the Forest は、ベトナムの中央高原地方における複雑な視点を提示する。Truong Cong Tung は、強大な自然に直面しながらも、それに飲み込まれることを拒絶し、風景の視覚的な力を再構築するために、意図的に何層ものイメージを広げる。この土地の土着の美しさを単純な手法で表現することを避け、アーティストは動画を「パフォーマティブ・アーカイビング」として活用している[1]。これは美術史家の David Teh が、アーティストや映画制作者等が動画を使い、ある実体をアーカイブしながら、その実体を変化させることを指す。つまり、実体は「静止した物質化[2]」から離れ、一貫した特徴を持って客観化されず、受動的に過去に留まることになるのである。具体的には、本作品では、4つのフレームを通じ、アーティストは、将来のノスタルジーのために歴史的な記録を作ろうとして高原を記録しているのではない。描かれているのは、ゴムを採取する手、洗面器や鉄板、鳥よけのために木に吊るされた上着等の雑多なもの、テレビを見る家族、畑を焼く人、掘る人、祈る人、寝る人など、文脈の中で同時に起こっている断片的な場面である。稲妻が光り、陽炎がキラキラとした光に包まれ幽霊のようになったり、街の光景が映し出されたりと、夜の夢のようなシュールな状況を生み出しいている。さらに、飛翔し続ける蟻のイメージと、この地域のドキュメンタリーや音楽等から集められた虫の音、雷、遠吠等の歪んだ音の異様な響きの中に、空間は浸されている。あらゆる物事や出来事が、この地の人々や自然の生活に内在するものとして、穏やかに存在している。同時に、パフォーマティブな映像と音の曖昧さは、この秩序が崩れる可能性があるかのように静寂が常に不確かであることを暗示している。映像とドリルで削られた土の塊、散りばめられた詩等のオブジェを組み合わせたインスタレーション空間は、現実のために、現実から逃避した架空の演出を生み出している。それは、私たちが想像する雄大な高原よりも、現実の方が既に浸食されているからではないだろうか。
- Arlette Quynh Anh Tran
[1] David Teh, 'What is an animate image?', Conscious Realities #1, Sàn Art & Hoa Sen University Press, 2016, p.174.
[2] 同書, p.189