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ローカナッギャラリー ミャンマー美術を牽引してきた伝説の画廊は今も健在

Myanmar

ヤンゴンには、ミャンマー美術界のレジェンドともいうべき画廊がある。パンソダン通りに建つローカナッギャラリーだ。創業1971年。現存するヤンゴンの画廊の中では最も古いという。

建物自体がブリティッシュコロニアル建築の傑作

  • ギャラリーが入居する建物は、ダウンタウンでも特に目をひく建築だ

  • 入口を塞ぐように露店が店開きしている

ローカナッギャラリーが入るビルはイギリス植民地時代、勢いのある企業が集まる商業ビルだった。当時、贅を尽くしたのであろうビクトリア様式の建物は、今も周囲の同時代建築群を圧倒している。しかし同ビルは現在、大小様々な企業が事務所を構える雑居ビルで、内部は雑然としている。入口の両脇には歩道に店開きした露店の商品が迫り、およそ有名画廊があるとは思えない雰囲気だ。

  • 歴史の重みを感じさせる木の階段

  • 明るく広々とした展示室

露店の隙間を縫って建物内へ足を踏み入れると、長い年月で磨り減った木材に鉄製カバーを施した階段が続く。ギシギシと音をたてて2階へ上ると、目の前の床には華麗なタイル装飾。50年以上の歳月を経たターコイズブルーとベージュのモザイクは、開けっ放しの扉を越えて画廊の中へと広がっていく。
天井の高い展示室には、この時代のヤンゴンの建物特有の縦長い窓が全開になって並び、まぶしいほどの明るさだ。

歴史は、20名の創設メンバーで始まった

ローカナッギャラリーの初代のオーナーは元軍人の文筆家バターン氏と、美術教育を受けたことがあるイェトゥン弁護士で、現在の経営者はそのふたりの子どもたちだ。ヤンゴンにいないことが多いオーナーに代わって画廊を切り盛りするマネージャーのアウンミントゥン氏が、開業当時について教えてくれた。
「初代のオーナーたちは、ビルマ美術を世界に発信できる場がほしいと、この画廊を立ち上げたと聞いています。その頃、画家たちは芸術で食べていくのは難しく、新聞や雑誌の挿絵で糊口をしのいでいました」。
バターン氏たちはまず、ミャンマー美術界を代表する20名のアーティストに創設メンバーとなってくれるよう声をかけた。ローカナッギャラリー最大の特徴である、画廊の運営をメンバーたちの合議で進めるメンバーシップ制の始まりだ。会費は無料で、盗作やメンバー同士の悪口の禁止など、守るべき多くの規律がある。
メンバーは終身制で、誰かが亡くなれば自分たちで新メンバーを選び、常時20名を保ってきた。2011年にはメンバー数を増やし、現在は25名体制で運営している。取材した時はちょうど欠員に代わる新メンバーを選出中で総メンバー数は24。最年少が39歳で最高齢が88歳、彫刻家ひとりを除き他は全て画家で、うち3名が女性だった。

  • 20名の創設メンバーの集合写真

  • 展示室に掲げた初代オーナーたちの写真

明朗会計で展覧会開催希望者が殺到

メンバーは年4回、費用を負担することなくギャラリーでの合同展に参加できる。売れた絵の代金から20%を画廊へ渡し、残りが作家本人の取り分だ。その他の時期は貸し画廊として運用。1室を1日80~100US$で貸し出し、売れた絵の代金はすべて画家本人のものになる。
「明朗な料金システムでしょう?」とどこか誇らしげに語るマネージャー。「開催希望者にはコネのあるなしで優先順位をつけたりせず、厳正な申し込み順で決めています。ただし1度開催したら、1年以上は申し込みできません」。
ひとつの展覧会の期間は3日から5日が多く、費用を分担できるグループ展も目に付く。ほとんどが平面絵画で、彫刻やインスタレーションは少ない。

  • 2018年7月に開催した、1980年代における民主化運動の記録写真展

  • 展示室は2つに分かれている。こちらは小展示室

検閲から忖度の時代へ

この画廊はまた、長い軍政下における検閲ともずっと戦ってきた。アウンミントゥン氏はこう振り返る。
「検閲に関わるすべての部署が係員を送りこんでくるため、チェック時は総勢10名以上に及びました。何かしら引っかかる部分があると、表現の意図を聞いてきます。体制批判と推測できるものでも『画家のイマジネーションの発露です』などと説明して、なんとか検閲が通るよう工夫したものです。それでも検閲官が首を縦に振らなければ引っ込めざるを得ません。無理に展示すれば、画家も画廊側も逮捕されてしまいますから」。
2012年に検閲は廃止されたが、だからといって自由に製作できるようになったわけではない。体制批判ととれる作品を展示すれば当局に呼び出されるため、ある程度の自主規制は今も続いているという。

  • マネージャーのアウンミントゥン氏

半世紀で大きく変化したミャンマー美術

ローカナッギャラリーが始まった1970年代、アート作品を購入するのは先進国の大使館関係者がほとんどだったそうだ。しかし、民主化によってミャンマー美術を巡る状況は様変わりした。
「今、顧客に外国人が占める割合は6、7割です。残りはミャンマー人富裕層です。外国人は新進作家や無名の画家の作品でも気に入れば買うのに対し、ミャンマー人が購入するのはある程度有名になった作家の作品です。ミャンマーでもアートが投機対象になったということなのでしょう」とアウンミントゥン氏。こういう面でも民主化が進むのは残念な気もするが、画家たちの生活が安定することで、芸術はその自由度を増すのかもしれない。
長きにわたりミャンマー美術の変遷を見つめてきた伝説の画廊ローカナッギャラリー。床のモザイク細工のように歴史を刻みつつも色褪せることなく、次の50年も続いていくのだろう。ヤンゴンに来ることがあれば、是非お立ち寄りいただきたい。そこにはミャンマー美術の半世紀があるのだから。

文責: Maki Itasaka