NEWS/COLUMN
文 / 隅 英二
タイの現代アートの近年は、Documenta 14、サンシャワー・コンテンポラリーアート展(森美術館/国立新美術館 2017)、シドニービエンナーレ、瀬戸内トリエンナーレ、ホイットニービエンナーレ2019、シンガポール・ビエンナーレ2020等、海外の展覧会に招請される作家が多く活躍する中、一昨年から始まった自国開催の3つのビエンナーレ、バンコクアートビエンナーレ、タイランドビエンナーレ、バンコクバイアニエル等の後押しもあり、世界からの注目度も年々増してきている。
スコータイ、ラナタイの時代から続くタイ王国の芸術は当時の王政の支援と深く関わりを持ってきた。中でもチュラロンコーン王(ラマ5世)は西洋の文化、様式を取り入れながらもタイの伝統芸術、工芸支援に尽力し、タイ国民の意識にタイのアイデンティティを認識させることに力を注いだ。
ラマ7世王政時代の1932年、プリーディー・パノムヨン率いるリベラル派のグループのタイ立憲革命により、民主主義が紹介され、絶対王政から立憲君主政体へ移行した。この事件はその後現在に至るまで何度も変わり起こるクーデターの始まりとなるのだが、この時代のリベラル派は芸術と建築を「階級差別のない民主主義のマニフェストのシンボル」として、王政時代建築とは対照的な、屋根が平らな建築物をラチャダムノン通り沿いに多く建造し、真実のタイの歴史を謳った低浮き彫りの彫刻を装飾したデモクラシーモニュメントを建造した。Documenta 14(2017)でアリン・ルンジャーンがこのデモクラシーモニュメントのイデオロギーの重要性をテーマにした映像作品 “246247596248914102516… And Then There Were None”を発表したのは記憶に新しいところである。
Democracy Monument
“246247596248914102516… And Then There Were None”
Arin Rungjang
従来のタイの伝統芸術はテーラヴァーダ(上座部)仏教、マハーヤーナ仏教(歴史、主流の仏教)をルーツに持つが、制作においての意味合いは表現のためよりもむしろ御利益のためといった意味合いを強く持っていた。イタリア生まれの彫刻家、美術教授シン・ピーラシーのもと、1943年にシラパコーン大学が設立され、西洋のアートが紹介されたことにより宗教以外のテーマや個人的な作風を産出することになる。しかし当時は伝統イメージと工芸、そして外国の影響の折衷主義的な作風のタイ建築、装飾芸術、写実絵画、印刷などが主流であった。
そんな中でもインソン・ウォンサム(抽象彫刻、絵画)のように、60年代にシラパコーン大を卒業後、スクーターに乗ってバンコクからパリまで絵を売りながら一人旅をし、パリ、ニューヨーク在住後もナショナルアーティストとして活躍した、個性的な作家も存在した。
インソン・ウォンサムと愛車ランブレッタ
1962年、パキスタンにて
本人提供
タイ現代アートの変換期の大きな流れは、1970年代半ばに設立されたチェンマイ大学、そして1980年代半ばから西側諸国で勉強して戻ってきたモンティエン・ブンマー、アラヤー・ラートチャムルーンスック、アピナン・ポーサヤナン(バンコクアートビエンナーレ創始者 ディレクター)、カモル・パオサヴァスディなどの海外で勉強し戻ってきた作家が活躍し始めることに起因する。
モンティエン・ブンマー
photo by Manit Sriwanichpoom
シンガポール国立大学教授で、現代アートキュレーターとしても国際的に知られるデヴィッド・テー曰く、1980年代においてプロフェショナルな作家として生きることはブルジョワジー階級のタイ伝統イメージと工芸重視の消費に沿ったシラパコーン組織のステータスなしでは難しかった。そこへ、西側諸国から戻ってきたメトロポリスであるバンコク派と北方都市チェンマイ派の2つの新しい流れが台頭することになる。
バンコク派ではパンティップ・パーバトラ・チュンボット王女を含むパトロングループが1974年に創設したBhrasri Institue of Modern Art(BIMA) が、既成のシラパコーン組織以外の作家を取り入れる展覧会を始め、イギリス帰りのアピナン ポーサヤナンが”How to Explain Art to Bangkok Cock”(1985)で初めてその年のナショナルアーティストとして選ばれ、そしてチュンポン・アピシックのキュレートによる初のコンセプチュアルアート展 (Folk-Thai-Time展, 1986)が開催され、カモル・パオサヴァスディなど多くのパフォーマンスアート、インストレーション、プロセスアートなどが紹介された。BIMAは既成のアート枠にとらわれない流れを作ったという意味で大きな役割を果たした。
一方の北方都市チェンマイでは、当時現代アートを見せる機会そのものが存在しなかった。
そのような状態のところへ、1980年代後半にはシラパコーン大学卒業後ヨーロッパに留学し国際的に輝かしい活躍をし始めていたモンティエン・ブンマー(Venice Biennale 2005) がフランスから、アラヤー・ラートチャムルーンスック(Venice Biennale 2005, Documenta 13)がドイツから帰国しチェンマイ大学で教鞭をとり始め、実験的なアート、そして、海外とのネットワークを広げるきっかけを作ることになる。当時の生徒達から現在海外で活躍をするタワチャイ・プントゥサワディなど多くの作家が生まれた。
そして大きな転機となったのは1992年に始まった Chiang Mai Social Installation (CMSI)の存在である。同じく80年代に海外に出たミット・ジャイインは60年代のインソン・ウォンサムと同様、旅人としてドイツに渡り、道端で絵を売り歩いた。その後ウィーンのAcademy of Fine Artsに入学し、1992年に帰国後、ウィーンで参加した展覧会を参考にした既成組織に依存しない形の展覧会を、タイ文化に根づく寺院の祭りの形式をとり、ウティット・アティマナと始めたのである。CMSIは表現の自由を掲げ、一般人を巻き込む形で1997年の最後の開催まで、多くの海外作家及び、コミュニティー依存型の作品を早々に発表した。
そして、ニコラ・ブリオーが掲げた「関係性の美学」のアイコン的な存在で、世界中で活躍するリクリット・ティラヴァニット(MoMa 1997, The Solomon R. Guggenheim Museum 2004, Serpentine Gallery 2005, Grand Palais 2012)、ナヴィン・ラワンチャイクン(MoMa PS1 2001, Venice Biennale 2011)、そしてモンティエンも含め多くの作家を招聘し、今日のチェンマイ及び、タイ現代アート文化を確立する基礎を作り、以後、リクリット、ミットによるLand Foundation設立 (2004)、国際展覧会への出品(Sun Shower 2017, Sydney Biennale 2018)、カミン・ラーチャイプラサート (Parlais de Tokyo 2015, 31st Century Museum創始者)などの様々な活動が活性化する。この時代の大きな意味は、アーティストが既存組織を頼らず自発的に活動したことにある。
Land Foundation
Chiang Mai Social Installation (CMSI)
Installation at Tha Pae Gate, Chiang Mai
As part of second week of cooperative suffering, 1997
Chiang Mai Social Installation. Artist, Title unknown.
Photography Courtesy of Uthit Atimana and Gridthiya Gaweewong
シラパコーンの潮流(タイモダン)と前述の新しいアートの潮流 (タイポストモダン)の2つのグループの象徴的な出来事をデヴィッド・テーが”Artist-to-Artist Independent Art Festival in Chiang Mai 1992-98”の中で語っている。(1994年に総理大臣チュアン・リークパイも出席したオリエンタルホテルでの展示で、Neo Traditionalistとして最も有名な作家タワン・ドゥチャディーをミット・ジャイインが”彼はSell Out”だと批判したビラを配り、虚偽の陳述をしたとして逮捕される事件)
現在、国際展、ビエンナーレ等様々な展覧会で活躍するミット・ジャイインだが、政治活動家としての顔も持ち、1932年から定期的に起こっているタイ特有ともいうべきクーデターの歴史の中、Black May(1992年に起きた軍事政権スチンダ・クラプラユーンに対する抗議行動のために集まった群衆を軍事鎮圧し、多くの死傷者を出した事件)にもプロテスターとして参加しており、現在ではCartel(イタリア語源-プラカード、抵抗、挑戦)という名前のギャラリー(リクリットが展開するGallery Verと併設する N22アートコンプレックス内)で政治的な内容深い作家の展覧会を展開している。現タイ・プラユット政権は2014年に起きたクーデター後の軍事政権であり、2019年の選挙までは選挙、政権批判、デモは禁止され、東南アジア諸国同様、アートも検閲を受ける日々が続いた。現在に至っても、選挙制度の不公平さを巡り多くの作家が政治をテーマにした作品を展開している。
Beautiful Futures
by Mit Jai Inn
H Gallery BKK 2018
Photography Courtesy of artist and Kan Nathiwutthikun
Black May事件の群衆
バンコクのギャラリーシーンはここ数年でAlternative Gallery(画廊でも美術館でもない、多様な表現活動に対応できるアートスペース)に変わってWhite Cube(白壁の立方体で構成されるシンプルかつ中立的な展示空間)のギャラリーも随分と増えたが、中でもタイの現代アートシーンの先駆けとなったのがオーストリア人のエクスパット、アルフレッド・ポーリンのVisual Dharma Galleryである。(Magic Set 展I, II, Melancholic Trance, New Art From Chiang Mai 1992~1993)ミット、モンティアン、 ナヴィン(当時のモンティアンのアシスタント)、 タワチャイを含むチェンマイの作家達が多く参加する展覧会を展開し、バンコクでもアヴァンギャルドなインストレーション 、ミックスメディア、ビデオパフォーマンスなど様々な作品が紹介された。そして1996年に創設されたProject 304 では、 クリッティヤー・カーウィーウォン、エドゥアール・モルノーがキュレーターとして、モンティアン, カモル、ニッティ・ワトゥヤ、チャチャイ・プピア、マイケル ショワナサイ、アピチャートポン・ウィーラセータクン等のアーティスト達が創立者となり、メディア、タイムベース、そして1997年にThe 1st Bangkok International Art Film Festival (BIAFF)(キュレーター:アピチャートポン)、Bangkok Experimental Film Festival (BEFF)など多くのイベントを立ち上げ海外のアーティストを積極的に招聘した。
またこの時代からはアピチャートポン・ウィーラセータクン( 第55回カンヌ国際映画祭の”ある視点”部門グランプリ)やアリン・ルンジャーン(Documenta 14, Venice Biennale 2013) 、女性アーティスト、ピナリー・サンプタック(LACMA 2013, Yokohama Triennale 2005)など世界の第一線で活躍する次世代の作家を多く輩出し、タイアートシーンが世界的に画一した位置を確立してくる。
昨今、閉鎖された国立大学チュラロンコーン大学のThe Art Center Chulalongkorn University (1995-2017)、コレクターとして名の通るペッチ・オサヌタナクラが運営するバンコク大学のBangkok Art University Gallery (キュレーター:アーク・フォンスムット 2006-2019)等の大学のアートスペースも若手を含む国内外のアーティストの質の高い展覧会を展開し過渡期のタイアートシーンに非常に重要な役割を果たした。閉鎖は惜しまれるところである。
また、タイシルクで有名なジムトンプソンが運営するJim Thompson Art Center (アーティステック・ディレクター:クリッティヤー・カーウィーウォン 2003~現在) 、BACC Bangkok Art Cultural Center (初代ディレクター:チャトヴィチャイ・プロムワタナ 2007)など国内外で活躍する作家の作品を継続して展示し、現在に至るタイの現代アートを支えてきたと言える。
最近では、前述のJim ThompsonのPresidentでもあるエリック・ブナグ・ブースが自身の両親であるジャン・ミシェル・バードリーと故パツリ・ブナグと共に2016年に立ち上げたMAIIAM Museum (ディレクター:エリック・ブース)が30年以上のプライベートコレクション及び、マレーシア国境に位置しマレー系イスラム教徒とタイ仏教徒及びタイ政府の争いで3000人以上の犠牲者を出しているパタニをテーマにした企画展等を展開し、注目を集めた。
The serenity of madness 2016
at MAIIAM Museum
Courtesy of Apichatpong Weerasethakul
1990 年代からのタイ現代アート発展にはアジアの隣国、日本、オーストラリア、シンガポールなどの芸術機関も大きな役割を担った。福岡アジア美術館は福岡トリエンナーレを1999年から開催、タイを含む多くの東南アジアの作品を収納、展示している。ブリスベーンのQueensland Art GalleryはAsia Pacific Triennial(APT)1993の開催以来、シンガポールアート美術館(SAM)は1996年の設立以来、東南アジアに焦点を置いたアジアの現代アートの知名度を上げる大きな原動力となった。
昨今では海外で活躍する若手のアーティストも多く台頭し、コラクリット・アルナノンチャイ(Whitney Biennale 2019, Venice Biennale 2019, MOMA PS1 2013)、チュラヤノン・シリポル(第72回カンヌ映画祭スペシャルスクリーニング) 、ドゥサディー・ハンタクーン(Palais de Tokyo / Institute of Contemporary Arts Singapore 2016/Sun Shower 森美術館2017, Singapore Biennale 2013, 2019)ルアンサク・アヌワットワイモン(Palais de Tokyo Paris 2015, Singapore Biennale 2019)そしてパタニ出身のサマック・コーセム(Bangkok Art Biennale 2018)等が世界からも大きな注目を集めている。
Monk and Motorcycle Taxi Rider
2013
Courtesy of Chulayarnnon Siriphol