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まず、冒頭の写真をご覧いただきたい。バンコクを訪れて中心街サイアムにあるアートセンターBACCに入ったとき、目撃した光景である。ホールのフロアに設置された作品(?)の上でパフォーマンスをするアーティストを偶々見かけた。彼らの足元にあるのは、メコン川に建設された/建設中/建設予定のダムの位置が印されている地図のライトボックスである。
なぜ、メコン川にダムがこれだけ多く建設されているのか? 一番納得される答えは、この流域の経済発展が驚くほど急速だからである。それは正しいのだが、バンコクの後に訪れた台湾(台中)のアジア・アート・ビエンナーレ出展作に、この地域のダムの建造と仮想通貨のマイニングとの密接な関係を掘り下げた映像作品に出逢って、私の興味はさらに深まった。
さてBACCで開催されていたのは、LGBTQのアートを扱った「SPECTROSYNTHESIS Ⅱ」(1)である。これこそ、現代をもっとも鮮やかに象徴する展覧会なのではあるまいか? というのは、アートが人間の解放を促す活動だとすれば、現代社会でそれを必要としているのは、マイノリティとりわけ性的マイノリティと呼ばれる人間たちだからである。
社会的に抑圧されている彼らの表現は、当然のことながら苦痛や苦悩の色調を帯びる。この展覧会では、バンコクの未成年の売春を主題としたドキュメンタリー(2)に登場する少年たちの悲しい独白に、それが生々しく証言される。にもかかわらず出展アーティストの表現は解放の希望に浴しているので、潜在的に喜びに溢れている(3)。
本展の企画の前提にあるのは、セクシュアリティ(性的現象、指向性)の多様性である。LGBTQはその発現であり、人生を喜びに満ちて送ることを教える。なぜなら、セクシュアリティの解放は生の肯定(4)とシノニムだからである。それが急転直下方向を変え悲劇に襲われることがあるにせよ、セクシュアリティの解放は間違いなく善である。
(1) SPECTROSYNTHESIS Ⅱ
(2)バンコクの未成年の売春を主題としたドキュメンタリー
"Underage" by Ohm Phanphiroj
(3)by Arunothai Somsakul
(4)"Gushing Out My Confession"
2015
60x40 cm (15 Pieces), photo
by Naraphat Sakarthornsap
そのせいで、BACCはある種の幸福感に包まれていた。最近の展覧会には珍しく、会場に明るい雰囲気を与えていたのだ。現代世界は戦争やテロに限らず、不幸のスパイラルに落ち込んでしまったように見える。そのためビエンナーレなどシリアスな問題と取り組む展覧会は、緊張感のある暗い主調音に浸されやすい。
だが深刻な問題を抱えているにもかかわらず、「SPECTROSYNTHESIS Ⅱ」にオプティミスティックでリラックスした空気が流れていたのは、参加アーティストのみならず観賞者に、解放に向けて進んでいるとの確信があったからではないか。生の肯定への衝動がいかに強いかを、展覧会は無言のうちに証明してみせる。セクシュアリティに寛容なバンコクが、それを後押ししてくれているかのようだ。
私が展示の終わりに観賞したドキュメンタリー「Loves Get Better with Time Quietly」(5)に登場する人物の語った簡潔にして明快なメッセージ「愛はジェンダーとは無関係。愛は愛」が、展覧会を包括し総合していると感じたのは、私だけではあるまい。「SPECTROSYNTHESIS Ⅱ」は、LGBTQのスペクトルのレインボー(6)を、エロティックな生の色に染め上げたのである。
(5)"Loves Get Better with Time Quietly"
by Sudaporn Teja
(6) "Rainbow Buffalo"
2013
320x500 cm, photogragh
by Maitree Siriboon
文/市原 研太郎
美術評論家。1980年代より展覧会カタログに執筆、各種メディアに寄稿多数。著書に、『マイク・ケリー "過剰の反美学と疎外の至高性"』(1996年)、『ゲルハルト・リヒター/光と仮象の絵画』(2002年)、『アフター・ザ・リアリティ―〈9.11〉以降のアート』(2008年)、『現代アート事典』(共著、2009年)等。また、『Identity Ⅳ』(2008年)、『Reality/Illusion』(2010年、ベルリン)等の展覧会企画も手掛ける。現在は、ウェッブサイトArt-in-Action(http://kentaroichihara.com/)を中心に活動(大型国際展やアートマーケットなど世界のアートシーンのリサーチ)を展開している。