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タキール・ホサイン ( Takir Hossain ) / 訳:藪本 雄登
Shilpacharya Zainul Abedin
バングラディシュにおける現代アートの動きは、1948年にザイヌル・アベディンを創立校長として、ダッカ(Dacca)美術学校(現Dhaka)がダッカ市に設立されたことから始まりました。バングラデシュ現代アートの年代記は1947年のインド・パキスタン分離独立の年に遡り、ザインヌル・アベディンと同時代の芸術家であるKhaja Shafique Ahmed、Quamrul Hassan、Shafiqul Amin、Habibur Rahman、Habibullah Bahar、Safiuddin Ahmed、Anwarul Haq、Syed Ali Ahsanらが、美術学校を設立するために一斉に名乗りを上げたことで幕を開けます。
バングラディシュ現代アートに関わる全ては、オールドダッカのジョンソンロードにあるダッカ国立医科大学病院の建物内のいくつかの部屋から始まりました。1952年に、施設は建物を市内のSegunbagichaに移動し、1956年に、最終的にShahbagh(ダッカ大学近隣)の独自の建物に移動しました。その建物は有名な建築家Mazharul Islamによって設計され、1963年頃には、政府の大学となり、東パキスタン芸術工芸大学と改名されました。そしてバングラディシュ独立戦争後の1972年に、学校施設はバングラデシュ政府芸術工芸大学になり、1983年、ダッカ大学と統合され美術研究所となります。2008年には、ダッカ大学の一部として美術学部に改称されました。
Zainul Abedin at work
[Courtesy: Amanul Huq]
http://en.banglapedia.org/index.php?title=Abedin,_Zainul
バングラデシュの現代アートは、ザイヌル・アベディンによって始まったと考えられています。ザイヌル・アベディン(1914-1976)は幼少期をマイメンシンの辺境の地で過ごし、豊かな緑、ブラフマプトラ川の美しさ、そしてその素朴な環境からインスピレーションを受けました。彼は環境、愛国心、非共産主義などのテーマについて意見を持ち、幅広い分野に精通していきました。彼がキャンバスに描く作品は、ベンガルの生活様式を完璧に反映しており、その芸術性あるタッチは、エクスタシー、陽気さ、喜び、崇拝、苦悩、活気、良心、勇気といった様々な表情で、作品に息吹をもたらしました。
1933年、ザイヌルはカルカッタ(現コルカタ)に渡ります。カルカッタ政府美術学校で美術を学び、その間、水彩画の卓越した技術とシャープな線画で有名になりました。彼の「飢饉スケッチ」は、1943年の飢饉の時代を思い起こさせ、この胸が張り裂けるようなシーンのシリーズで、ザイヌルは国際的な称賛を獲得します。この時期、ザイヌルはスケッチを通して人々の苦悩を丁寧に描き出しました。安物の包装紙に中国の墨と筆で描かれた作品は、飢えで死にかけていた人々が感じていた圧倒的な無力感を強く漂わせています。これらのスケッチは今でも私たちの頭から離れず、カラスや犬、男たちがゴミ箱で食べ物を分け合っていた時代を思い出させます。彼は常にバングラディシュの危機的な時代をキャンバスに描いていました。
1950年代から1960年代にかけてのザイヌルの絵画には、リアリズムや民族的な形式に対する好みが現れます。しかし、数年後には、伝説の人物ザイヌルは自然や田舎の生活、人間の日常的な葛藤を描く作風に戻っていきました。表現手段としては、油彩、水彩、ペン、インク、鉛筆、パステルなどが作品に用いられていました。
'Famine 1943', sketch by Zainul Abedin
http://en.banglapedia.org/index.php?title=Abedin,_Zainul
ザイヌルの同時代人であるカムルル・ハサン、サフィウディン・アーメド、SMスルタン、モハマド・キブリアの名は、この国の現代美術運動の確立に多大な貢献をしたことで脚光を浴びるようになりました。彼らは皆、芸術的な表現を通してそれぞれの言語を生み出し、その表現方法は、民俗的、具象的、半具象的、半抽象的、純粋な抽象、抽象表現主義など多岐にわたっています。
その中でも、カムルル・ハサン(Quamrul Hassan, 1921-1988)は、自身の芸術を通して私たちにある民族的、伝統的な要素を回復させたことで知られています。ハサンは、油彩、ガッシュ、水彩、パステル、エッチング、木版画、リノカット、ペン、鉛筆など、ほとんどすべての表現方法で活躍する精力的な芸術家でした。彼の作品にはベンガルの農村とその人々が描かれています。人物、自然物、樹木、蛇、フクロウ、ジャッカル、鳥、魚、動物、そして、鄙びた風光絶佳とその穢れのない美しさを描くことへの彼の情熱がうかがうことできる風景を描いています。彼の絵は、その大胆で流れるような筆づかいと鮮やかな色彩で知られています。ロマン主義と写実主義を融合させ、強い曲線、輪郭、対照的な色使いに焦点を当てています。田舎の女性と彼女たちの葛藤は、ハサンが繰り返し制作してきたもう一つのテーマでもあるのです。彼の女性の扱い方は、女性同士の関係性を強調するもので、女性を描いた作品の多くは女性のグループであり、単独で描いた作品はあまり見られません。
Quamrul Hassan
Winter, 1955. In front of Bordhoman House Ustad Alauddin Khan with (from left) artist Quamrul Hassan, Ustad Khadem Hossain Khan, Shilpacharya Zainul Abedin, Sardar, Joinuddin and others in the music conference held in Dhaka.
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Music_Conference_Dhaka_Group_Photo_1955.png
サフィウディン・アーメド(1922-2012)は、特に木版画で知られています。彼はコルカタ(インド)とダッカ(バングラデシュ)という、彼の人生を分けた2つの都市で生きた都市の芸術家です。彼は都会に住んでいましたが、都会の混沌とした生活からは遠ざかっていました。都会の生活は彼にとって全く魅力的ではありませんでした。そのため、彼の作品は主に農村のパノラマ、田舎の生活、風景、洪水やその他の自然災害、そしてサンタル(主にインド東部に住む大規模な先住民グループ)の生活に焦点を当ててきました。バングラディシュ独立戦争とベンガル語国語化運動も、彼の作品の中で繰り返されるテーマです。彼は、版画と絵画の両方を表現手段としていました。黒を主な色調とし、この特定の色を何層にも重ねる実験的な制作を行っていました。サフィウディン・アーメドは1942年にカルカッタ(現コルカタ)政府美術学校を卒業します。学生時代には、木版画、エッチング、ドライポイントなど、多くの綿密な技術とスタイルを学びました。版画は明らかに、最も手間と労力のかかる表現技法の一つで、それが、彼に落ち着きと忍耐力、そして作品への献身さを与えることになりました。サフィウディンは、インドの西ベンガル(Pacchim Bangla)で伝説的な画家たちの仲間を得た学生生活が、彼の芸術的成長において最も重要な段階であったと常に感じていました。しかし、彼は1947年のインド・パキスタン分離独立後、ダッカに移住します。その後は、新たに設立されたダッカ美術大学(現ダッカ大学美術学部)に入学しました。
Fishing
Safiuddin Ahmed
Brush and Ink, 1950
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fishing_Safiuddin.jpg
SMスルタン(1923-1994)は、農村の生活、特に漁師、農民、労働者、そして彼らの質素な生活を深く掘り下げました。彼の作品は労働者階級の生活を明確に表現しており、主に恵まれない地域社会に焦点を当てていますが、彼らの団結力や権力闘争をも浮き彫りにしています。彼の作品は、男性と女性が日々の仕事に励み、農民が畑で精を出して働く様といった、農村の家庭の物語を視覚的に物語っています。スルタンの描く人物は筋肉質で力強く、豊さを感じさせるもので、これはベンガルの農村に対する彼の情景を表しています。スルタンはヨーロッパのルネッサンスの伝統に影響を受けた男性像を描いていますが、豊満で曲線的な女性像は古いインドの伝統に属しています。自画像に見られるような彼の素描は、簡潔で無駄がないのが特徴です。線は力強く、完全に成熟しています。彼の初期の絵画は印象派の影響を受けています。油絵ではゴッホの厚塗り画法を用いました。水彩画は主に風景を描き、明るく生き生きとしています。
SM Sultan
モハマド・キブリア(1929-2011)は、バングラデシュ美術のモダニズムを豊かにした重要な人物です。彼は、構図、色彩、形態が主な特徴である現代絵画を紹介したことで、現代美術の象徴的な人物と考えられています。彼は細心の注意を払って彼の絵画の様々な本質的な要素を融合させました。その作品は多くの方法で説明することができ、例えば、そこに神秘主義の手法を見つける人もいれば、調和、哀愁、絶望の感覚を感じる人もいます。表現方法は何度も変更されていますが、すべての作品を通して、彼は自分のトレードマークを確立することに成功しています。彼のスタイルは紛れもなくユニークで、個性的で表現力に富んでいます。キブリアはその構図でも知られており、様々な技法を用いて様々な媒体で作品を制作していました。彼の版画は非常に繊細で、テクニックに重きを置き、制作が長期に及ぶものでした。感情、憧れ、思索、自由などをエッチングやリトグラフで表現しています。彼の版画制作にはミニマル化が用いられています。彼にとっての日本の師であり、版画家でもあった萩原秀雄の影響で、キブリアのエッチングやリトグラフには、日本の繊細さと技術の要素が反映されています。
Mohammad Kibria
ザイヌル・アベディン、カムルル・ハサン、サフィウディン・アーメド、SMスルタン、モハマド・キブリアは、バングラデシュの現代芸術家の第一世代とされる芸術家たちです。次の世代は基本的にダッカ美術学校(現ダッカ大学美術学部)でアベディン、ハサン、アーメド、キブリアの直弟子たちです。
ダッカ美術学校の第一期は、1948年に何人かの学生から始まったことは言及すべきことです。彼ら一団は非常に情熱的であり、ほとんどは左傾化した政党に関与していました。彼らは自然、都市生活や周辺の情景を描いており、その頃、ダッカは静かな街で、緑の多い場所がたくさんありました。アベディンは特にデッサンに力を入れており、自分の取り組む芸術のジャンルとそれに対する様々な重要な側面を理解することに成功していました。学生たちは、政治的混乱、経済危機、都市生活、農村生活、静物などを描き、その中には、国際的に評価の高い印象派の画家たちに大きな影響を受けた人もいました。1950年代には、美大で学ぶ学生はほとんどいませんでした。創立メンバーは、学生を探すために戸別訪問をして、幸いなことに、学生たちを獲得し、第二期を開始します。同様のパターンで、第三期も開始しました。第一、第二、第三期の学生の中で、アミヌル・イスラム、ムルタザ・バセア、カイユム・チョウドリー、アブドゥール・ラザケ、デブダス・チャクラボルティ、ラシッド・チョウドリー、ムビヌル・アジム、ヌルル・イスラムとサイード・ジャハンギーは、評判の高い画家として、抜きんでていました。彼らの多くは実験的な画家としてみなされており、空間、形、構図に絶えず取り組んでいました。60年代の動きは、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマン、フランツ・クライン、アドルフ・ゴットリーブといった少数派の国際的に著名なの抽象表現主義者の影響を強く受け、表現の自由化への道を切り開いていきました。このように、バングラデシュ芸術の現在の成果は、自由化に負うところが大きいのです。しかし、これらの三世代間の芸術家たちは、それぞれ異なる専門性を持っています。
アミヌル・イスラム(1931-2011)は、1960年代初頭に主に非具象的な画家として成長し、さまざまな媒体や芸術形態を試し始めました。絵を描くことに加えて、イスラムはドローイングにも傾倒し、彼のキャリアの中で、特にドローイングやスケッチでいくつかのスタイルを確立しました。1960年代半ばからの人物をベースにした作品は注目に値し、徐々に、画家はペン、鉛筆、筆、竹、捨てられた筆などによって生み出される線の質の違いに気づくようになりました。迫力のあるドローイングからは、彼の線の扱い方の巧みさと見事な構図力がうかがえます。また、アミヌルは全国各地で壁画も制作しました。
ムルタジャ・バセア(1932-2020)は、政治的・社会的意識の高い画家です。学生時代には左傾化した政治活動を行い、50年代には政治的イデオロギーのために何度も刑務所に送られました。初期の頃からビザンチンやルネサンス期の絵画に大きな影響を受け、ベンガルの女性の悲哀、内なる苦悩、壮大さ、独自性などを真正面から描いたことで高い評価を受けました。彼は自身の絵画において、わざとらしさと悪趣味に周到に焦点が当てられた超現代社会の女性達の活き活きとした姿に迫っています。機知に富んだ天才として知られ、その輝かしいキャリアの中で、バセアは次第に抽象的な写実主義へと変貌を遂げていきます。
Murtaja Baseer
カイユム・チョウドリー(1932-2014)は、おそらく本の装丁でよく知られています。彼の作品は、普通の人々の田舎の生活や伝統を深く掘り下げており、鳥、緑、花、魚、水差しを運ぶ田舎の女性、農民、自由の戦士、青々とした葉、雄牛などのモチーフが繰り返し登場します。バングラデシュの田園風景を描いた写実的または半写実的な作品は、彼の明晰で特有なテクニックが際立っています。彼の過剰なほどの何もないな空間の使い方は、五感に訴えるような心地よいレベルに属する彼の全ての作品に優雅さを与え、触覚的で鮮明で、躍動的な色彩は、彼の素描や絵画に奥行きと形を与えています。彼がよく使う緑、赤、黄色、紺碧などの色は躍動し、情熱と混ざり合うのです。
アブドゥール・ラザケ(1932-2005)は、長く波乱に満ちた人生の中で、次第に抽象表現主義の画家へと変貌を遂げていきました。彼の作品は形と色を重視しており、自然は彼の作品の中で何度も繰り返されるモチーフでした。彼の水彩画は、彼の作品の特徴の一つである穏やかで静寂とした感覚を与えてくれます。アブドゥールは常に馴染みがなく、型にはまらない側面を描き出す新しいスタイルや表現を生み出すことを楽しんでいました。
デブダス・チャクラボルティ(1933-2008)は、絵画だけに没頭していたわけではなく、版画やドローイングも彼の好んだ表現手段の一つでした。彼の作品のほとんどは、形と色を重視したもので、自然や人間も彼のお気に入りのテーマでした。デブダスは、自然とその神秘的な段階を、彼の個人的な概念、経験、思考過程を通して描き出しました。彼の絵画は、彼の内なる感情と、生活の場、生活、回想の徹底的な観察によって記録されていると言ってもよいでしょう。デヴダスは、彼の作品に生き生きとした特徴をもたらしたスイープストロークを使用しています。彼のストロークとフォームは同時に自然であり、私たちにとって異質な言語を作り出しています。彼の色は明るく、まろやかで、豊かで滑らかに見えます。彼の魂は、緑、紺碧、赤、深紅、オフホワイト、黄色が大きな喜びと恍惚感に満ちた空間を常に探し求めていました。彼はラセットの色相とコバルトブルーを愛していました。驚くべきフォルムと様々な示唆に富むオブジェが、彼の絵画に独特の言語を生み出しています。彼の絵画の多くは、構図や形をベースにしたもので、長方形、垂直、水平、半曲線、完全な曲線など、様々な大きさの形をしており、多くのシンボルを絵画に取り入れています。彼の構図の中での空間の分割は劇的で、大きな空間は平らに保たれていますが、小さな空間にはいくつかの小さな模様が描かれ、空間の錯覚を作り出すためにかなりの時間を費やしたことは明白です。
ラシッド・チョウドリー(1932-1985)は、この国におけるタペストリーの先駆者であり、今日に至るまでで、間違いなくこの特定のジャンルで最高の芸術家です。彼は様々な形でタペストリーを導入することに成功しました。彼の作品は、その主題とスタイルにおいて他に類を見ないもので、近代西洋美術と私たちの伝統との融合が彼の作品の主な特徴です。この作家は、特にデザインと色彩構成の面で独自性を確立しました。色彩の厚み、幾何学的な構図、耽美主義が彼の作品を際立たせています。
ヌルル・イスラム(1933-2010)の業績には、数多くのドローイング、スケッチ、絵画が含まれています。彼はジャミニ・ロイやカムルル・ハサンから大きな影響を受けていました。イスラムは、ユニークな曲線的な女性の描写で知られています。珍しい輪郭線、滑らかな質感、そしてキュビスムのフォルムは、彼の作品の別の重要な側面です。彼の線はより喚起的で官能的で、作品は純粋な美的バランスにより際立っています。彼の作品の多くは、普通の人々である事の心の内奥に深く迫っています。田舎を描いた半写実的で半抽象的な作品や、透明画技法は、彼の背景の使い方を際立たせています。彼の過剰なほどの広い空間の使い方は、この官能度合いに類する全ての作品に優美さを与えています。
ムビヌル・アジム(1934-1975)の線は、現代的な表現方法を象徴しています。彼の絵画は、変化に富んだ構造、楕円形や環状のフォルムを特徴としています。アジムは、ある形や構図を構築し、それを分解して再構築すると考えられています。緻密に描かれた形、シャープな輪郭、そして細心の注意を払って作られたテクスチャー(画面の質感)は、彼の描写のほとんどを印象深いものにしています。彼の描写はまた、表現主義に触発された断片的な情景を情熱的に捉えていて、彼の作品は、現代的で抽象的な形と多彩な形状の組み合わせを際立たせてもいます。このアーティストは、自ら思いついた面白い情景から着想を得た形や線を使用していました。
サイード・ジャハンギール(1935-2018)は、美しいバングラデシュを描いただけでなく、川の浸食や過酷な労働者、農民や漁師の知られざる苦労など、社会問題や環境問題を描いた作品もあります。ジャハンギールはまた、季節の移り変わり、のどかな風景、池、秋のからしなや緑の水田、雨の日や青空などにも注目し、彼の絵画では、金、コバルトブルー、黄色、ウルトラマリン、金色がかった黄色と緑を使用しました。彼の作品に描かれているものには、物憂げな雰囲気があり、それらの特徴は一貫して強調されています。時に彼の描く人物は生き生きと見え、彼らの経験に思いを馳せずにはおきません。
1950年代と1960年代は、わが国の画家にとって非常に重要な時代でした。50年代半ばには、多くの画家たちが自分の好きな分野の高等教育を受けるために海外に出て行きました。彼らは教育を受けるだけでなく、ヨーロッパの多くの美術館を訪れ、近代美術についての知識を身につけます。勉強を終えて帰国した彼らは、斬新でワクワクするようなテーマやスタイルの作品を制作し始めました。ハミドゥール・ラーマン、アミヌル・イスラム、ムルタザ・バセア、ラシッド・チョウドリー、アブドゥール・ラザケなどの画家たちがおり、この時期、これらの画家たちは、抽象表現主義、叙情的抽象、純粋抽象、非具象などの影響を大きく受けていました。この時代のアーティストたちは、質感、形、色調に焦点を合わせ、特に技術的な側面に重点を置いていました。
同時に、あるグループは感情を扱うようになり、他のグループは知性を扱うようになりました。徐々に、形と構図が画家たちのグループの中で重要な側面となっていきます。様々な形や象徴には、政治的な混乱、不安定さ、経済危機、社会的な差別と密接に関連した多くの注目すべき伝達記号が含まれていたのでした。
60年代半ば以降、多くの画家がナショナリズムを重視するようになります。彼らは伝統や民族的なモチーフを探求し始めました。
…第2章へ
著者について
タキール・ホサイン (Takir Hossain) は、美術評論家、文化キュレーターとして、長い間、現代のバングラデシュの芸術と文化について情報発信を続けている。彼の強い関心は芸術と文学にあり、美術評論家としての批評は、多くの著名なアーティストの書籍、パンフレット、バングラデシュ国内外の美術雑誌、その他多くの創造的な出版物に掲載されている。また、国内外のセミナーで講演を行うことも多く、数々のアート・コンペティションやカーニバルの審査員も務め、ヨーロッパやアジアの様々な国で開催された国際的な展覧会の取材活動を行っている。
ライター連絡先:takir75@gmail.com