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リム・ソクチャンリナ – ありのままの姿を伝える 融合する現実と非現実の世界

Lim Sokchanlina
Cambodia

海底の17分35秒

 海中眼鏡をつけ、酸素吸入器を手にした男性が、海底に立つ。手にはA4サイズの紙を持ち、くぐもった声でその紙に書かれた「手紙」を読み始めた。
 カンボジアのアーティスト、リム・ソクチャンリナによるビデオ・インストレーション「海への手紙(Letter to the Sea、2019年)」の一場面だ。海底に立つのはソクチャンリナ自身。手にした紙のメッセージも、彼の手書きによるものだ。
 カンボジア・タイの海上境界線が通るクート島の海底でこのビデオは撮影された。カンボジアとタイには経済格差がある。だから今でも、「安い労働力」として、カンボジア人が農業や漁業の移民労働者としてタイに向かう。
 なかでも漁業従事者は、遠洋漁業で長期間にわたり労働環境の悪い船内にとどまらざるを得ず、しかも労賃を搾取されることもあった。

  • 「海への手紙」の一場面

 ソクチャンリナの手紙には、そんな、故郷を離れ出稼ぎ労働者として働いたカンボジアの人々の物語が書かれている。それは彼が自分で取材をして知った物語だ。苦しみから抜け出そうと違法薬物に手を染めた人、耐え切れず逃げ出し、ひそかに森を抜けて故郷に戻った人。たったひとつ、国境をはさんだだけで同じ人間として扱われない悔しさ、それでも家族のために耐え忍ぶ辛さ。この海を渡りながら、多くのカンボジア人移民労働者が抱いたであろう悲しみ、苦しみをソクチャンリナは、呼吸もままならない海底で読み上げる。

 言葉は泡となって立ち上る。酸素を継ぎながら、ソクチャンリナは何度も何度も泡を送り出す。「それが、移民労働者たちのメッセージだから。泡は人間の作った国境など容易に越えて、どこへでも届く。水は世界のどこにでもつながっている。彼らの思いが、この泡に乗って自由に流れていくように願いを込めた」

 「17分35秒。この作品はそのことが重要なんだ」と、彼は言う。酸素を吸入しながら2ページ分の手紙を読み終える、ぎりぎりの時間だという。ソクチャンリナは、実は、泳ぐことができない。この撮影の前にダイビングを一週間練習した。泳げない恐怖と闘いながら、彼はそれでも「自分で」潜り、自分が泡を生み出すことにこだわった。
 演劇や映画のようにドラマがあるわけでも、登場人物がほかにいるわけでもない。一人の男が海底に立ち、じっと動かずにいる。聞き取れない言葉を語るたびに泡が生まれ流れていく、それだけの映像だ。しかしその力強さは、ソクチャンリナの得意とする「現実と非現実の融合」が、生み出すものなのだろう。

リアリティをどう伝えるか

 リム・ソクチャンリナは1987年、プレイベン州で生まれた。有名な画家だったおじの影響もあり、その友人でフランス人写真家の開く写真教室に参加した。大学では経済学を学びながら、その教室で写真に強く興味を持つようになる。その後、しばらく新聞社の写真部で働いたこともあったという。
 しかし、政府高官やイベントや会議などの写真撮影は、彼には退屈だった。目の前に広がるのが「現実社会」だとしても、それは切り取られた一場面、一瞬でしかないように感じた。何かが足りない。「もっと違う方法で、ありのままの社会を伝えることはできないだろうか」と、思った。

 確かに、報道だけがリアリティを伝えるとは限らない。むしろ、「見たままが現実である」というのは、見えないものへの畏敬の念を忘れた傲慢な発想かもしれない。ソクチャンリナは、見たままの風景に、「何か」を加えたり、あるべきものを差し引いたりすることで、その現実の風景を、より分かりやすくメッセージ性の強いリアリティとして伝えている。

 たとえば、「包まれた未来(Wrapped Future II、2017)」は、美しい蓮の花畑に、水色の「塀」を建てた。地平線まで続く大地は、塀に遮られて見通せない。ソクチャンリナはこの塀により、急速な経済成長で「見えなくなるものがある」と、暗示した。
 「水位のあがるトンレサップ(Rising Tonle Sap、2012)」では、南国の湖であるトンレサップ湖に、氷の塊を浮かべた。見たこともない異様な光景。現実には(今は)あり得ない光景が、不安を誘う。いうまでもなく、忍び寄る地球温暖化への警告である。

  • 「包まれた未来」

  • 「水位があがるトンレサップ」

 一方で、報道的な写真から、何かを差し引くことによるリアリティの増幅は、「国道5号線(National Road Number 5、2015)」で表現される。日本や中国の援助で拡幅、整備が続く幹線道路・国道5号線。ソクチャンリナは、工事を前に住民が立ち退いた道路わきの家を撮影した。人は、いない。ただその気配が残る建物がたたずむ。ある家は傾き、ある家はトタン板で覆われ、ある家は真っ二つに分断されている。そこに住んでいた人も、工事中の道路も写っていないが、このさまざまな家の表情だけで、目の前の道路が整備され、人と車の流れが、彼らを取り巻く社会が、大きく変わるのだ、ということが分かる。

 ソクチャンリナは言う。「そこに起きる変化を、いいとか悪いとか、判断はしたくない。自分は生きる社会の今を、ありのままにドキュメンテーションする。そのためにはどうしたら伝わるのか、を考えている」

  • 「国道5号線」

移民労働者たちの夢

 ソクチャンリナがテーマとしてきた海外への移民労働者。その最新の取り組みが、「カンボジアの移民労働者」シリーズだ。タイ、シンガポール、マレーシア、日本に「移民」した労働者たちをテーマに、それぞれの国を舞台に違った作品を作っていく。

 今、完成しつつあるのがマレーシア編だ。ソクチャンリナは、マレーシアに働きに出ているカンボジア人コミュニティとつながり、黒い表紙の小さな本を手渡した。
 「ここに、あなたの夢を自由に書いてください」
 ソクチャンリナの呼びかけに、約80人が応じた。黒いノートに、白い文字で書かれた彼らの夢。「すべての人が、『カンボジアに帰りたい』と言っている」。故郷に帰り、家族に会いたい。お店を開きたい。美容院を開きたい、車に乗りたい。ささやかな、ささやかな夢を抱えて、彼らは異国の地で働き続けている。

 小さな手帳ほどの大きさにしたのは、これを彼らのパスポートに見立てたからだ。「パスポートは海外で暮らす彼らにとって故郷に戻るために最も重要なもの。それと同じぐらい大事なのが、夢を持つことなんだ。どんなに貧しくても、苦しくても、夢を持つことはだれにでもできる。そして、夢があるから、がんばることができる。夢こそが、彼らのパスポートなんだ」

 ソクチャンリナは、移民労働者たちが手書きした夢を追って、実際に彼らの故郷へと足を運んだ。家族に会ったり、お店の様子、街の様子を写真に撮ったりして、そのページに貼り付けた。今は故郷へと出向けない彼らに代わり、ソクチャンリナが夢の形を写して作り出す。そうして何冊もの「黒い本」ができ、その作品名は「I Wish I Want To」と名付けられた。

  • I Wish I Want To, book, Lim Sokchanlina

 それは見事な現実と、非現実の融合といえるだろう。移民労働という現実と、夢という非現実。でも、ソクチャンリナが伝えたかったのは、移民労働の善悪でもなければ、彼らの夢の価値判断をすることでもないだろう。「故郷に帰りたい」というささやかな夢を見る人たちが、異国で働いている。何のために? 故郷で暮らす家族のために。「この国は、そういう人たちの思いで支えられている。それが現実だ。この小さな声を、ありのままに伝えたい」

 ソクチャンリナの作品をみていると、小さき者、弱き者への温かい視線を感じる。急激に姿を変え、人々の心までも変えていった内戦後のカンボジア社会で、聞こえなくなってしまう声にじっと耳を傾け、伝えようとする彼の姿は、アーティスティックであると同時に、十分にジャーナリスティックだ。


文責: Aya Kimura