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鈴木一絵、藪本 雄登(協力:アウン・ミャッテー )
ミャンマーは、伝統美術の長い伝統を持ちながらも、長期化した軍政の影響で、美術活動が制約を受けていた期間が長く、社会における現代美術の認知度は高くないと言わざるを得ない。ミャンマーで手軽に目にすることができる美術といえば、僧侶や地元の人たちの日常生活・風景を描いたモダニズム風の絵画が主流であり、国立の美術学校でもそうした作風が奨励されている。
1948年英領植民地から独立を達成し、一時期、議会制民主主義を導入したミャンマーは、1952年に国立美術学校(ヤンゴンとマンダレー)、国立美術館が設立され、少しずつ美術環境が整備されていく。しかし、議会制民主主義も長くは続かず、少数民族問題やミャンマー人政治家同士の権力争いなどにより不安定なものとなった結果、1962年には、ネーウィン大将率いる国軍がクーデタを決行し、1988年の民主化運動まで続くネーウィン独裁体制が始まる。軍政は「ビルマ式社会主義」の実現を標榜し、経済活動の国有化、政治における一党支配体制の確立を目指したが、軍政による失策が続き、経済は衰退していった。
この時期に結成されたのが、ミャンマーにおける現代美術の発展で重要な役割を果たした美術グループ「ガンゴー・ヴィレッジ」である。グループは、ラングーン文理科大学(現ヤンゴン大学)にて、美術専攻ではなく自主的に美術を学んでいた約20名の学生たちが中心となり、1979年に開催された「ガンゴー・ヴィレッジ」展を契機に結成された。初期のメンバーには、後に国際的にも知られるアーティストとなるアウン・ミンやポー・ポーらが含まれており、当時彼らは抽象絵画を中心に制作を行っていた。アウン・ミンは、現在のミャンマー現代美術の基礎を作った重鎮であり、独学で美術を学び、活動初期には抽象表現主義の影響を強く受けた絵画を作成していた。その後、インスタレーションやパフォーマンス・アートへと実践の場を広げていく。ポー・ポーも、独学で現代美術を学び、絵画から彫刻、インスタレーションへと拡大し、国際的に知られるアーティストとなった。
アウン・ミン
アウン・ミンは自宅ガレージを「インヤーアートギャラリー」として多くのアーティストたちに提供してきた
こうしたグループ結成などの動きを機に、現代美術の潮流が出来上がりつつあるように見えたが、1988年の民主化運動(8888民主化運動)前後から、アートコミュニティにとって自由を制約される時期に突入する。同民主化運動は、最終的には軍のクーデタにより鎮圧されることになったが、これにより26年間続いた社会主義体制は崩壊し、1989年以降、軍事政権は、経済的には市場経済を目指し、海外の製品や人、情報が入ってくるようになった。それに伴い、外国人向けの、ギャラリーが併設されたホテルが建設され始め、観光客を意識した風景画なども多く出回り始める。
他方、大学生が独立運動や反政府運動の主翼を担ってきた背景もあり、民主化運動前後には、大学に拠点を置く美術センターが閉鎖され、ラングーン文理科大学時代も縮小された。検閲が強化され、美術展もその規制を受け、アーティストたちは大学以外に発表の場を求めて、ギャラリーやグループを立ち上げて活動するようになる。現在国際的に活躍する作家の一人であるエーコーは、1990年にミャンマーのアーティスト15名とともに「モダン・アート90」を設立、その後2000年に「ニュー・ゼロ・アート・グループ」、2008年には「ニュー・ゼロ・アート・スペース」と名前を改め、現在も続く展示スペース、作家スタジオ、レジデンスの機能を持ったスペースを運営し、発表の場の提供や後進の育成に力を入れている。
エーコー
ニュー・ゼロ・アート・スペースでのアートクラス
エーコーを始め現在第一線で活躍する作家たちの中にも投獄された経験を持つ者がいるが、軍事政権下のミャンマーでは現代美術は美術として認められず、芸術表現に対する厳しい検閲が行われた。作家たちはそこから逃れることに苦心し、制約の中で自己表現し抑圧に抵抗するための新たな表現方法や手段を模索した。その一方で、作品が物質として残らないために、検閲から逃れることが可能なパフォーマンス活動が行われるようになる。1996年の霜田誠司氏(NIPAF)の来緬を契機にパフォーマンス・アートは活発になり、2008年には、日本でもよく知られるアーティストのモサがパフォーマンス・アートのフェスティバル「ビヨンド・プレッシャー・インターナショナル・パフォーマンス・アート・フェスティバル」を開始。現在も、パフォーマンス・アート作家として活躍の場を海外に広げている作家は多い。
Zero Platform 2: International Performance Art Festival, 2018
Girl Power "Woman Now" Performance Art Show, 2019
世界中が注目した2015年の総選挙では、アウン・サン・スー・チー氏率いるNLD(国民民主連盟)が勝利し、欧米諸国からの経済制裁が解除され、ミャンマー社会は大きな変化を迎えることになった。現代美術の分野においても、海外からの研究者やキュレーターによる調査も活発になり始め、2013年には、ミャンマー・アート・リソース・センター・アンド・アーカイブ(MARCA)が、アーティストのキン・ゾー・ラッとゾン・ザベー・ビュー、そして研究者のナタリー・ジョンストンによって設立される。バイリンガルのアート・リソース・センターであり、現在は2016年に設立されたアートスペース「Myanm/art」内に位置する。資料の収集や翻訳、シンポジウム、展覧会等を開催し、若手作家に作品発表の場を与えることに注力するなど、ミャンマーの現代美術の発展において重要な役割を担っている。
Myanm/art
「開国」後、東南アジア最後のフロンティアとして外国人投資家から一斉に注目を集めたミャンマー経済だが、現代美術についても、国際的な(あるいは汎アジア的な)現代美術の文脈において注目され始めている。8888民主化運動後に生まれた若い世代の作家は、前世代に比して政治的な重圧も少なく、デジタルネイティブである特性を生かし、インターネット上で発表しやすい写真やビデオアートなどの作品を制作し、世界の舞台に挑戦しようと活動する作家も多い。前世代とは異なるアイデンティティを確立しようと模索する作家たちの今後に期待したい。