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美術評論家 Diana Nway Htwe 『アート、政治、プロパガンダ:ミャンマー2021年』

Myanmar

Diana Nway Htwe(美術評論家、美術史家) / 訳:藪本 雄登

Crowned and Bejeweled Buddha Seated on an Elephant Throne. Late 19th century. Burma, Gilded and lacquered wood with paint and colored glass, 144.5 × 85.2 × 49.2 cm, (Credit Line: James W. and Marilynn Alsdorf Collection / Art Institute of Chicago)

すべての芸術はプロパガンダである。ただ、そのプロパガンダの種類が違うだけである。芸術は人間の生活に欠かせないものであり、一部の人だけのものではないはずだ。芸術は普遍的な言語であり、全人類のものである。すべての画家は伝道者であったし、さもなければ画家ではなかった。芸術において、何か価値のある芸術家は皆、そのような伝道者であった。強靭な芸術家は皆、伝道者であり続けた。私は伝道者でありたいし、他の何者でもありたくない。私は自分の芸術を武器として使う。
- ディエゴ・リベラ(Diego Rivera、メキシコの壁画家、1886~1957年)-

軍事政権に対するミャンマーの「2021年 春の革命」では、アートが力の源泉となっている。この革命により、新世代のアーティストやクリエーターが誕生している。ミャンマーの歴史の中で、アートと一般市民がこれほど密接に機能してミャンマー軍の不正を非難した時期はなかった。だから今こそ、アート、政治、プロパガンダ等との関係を、ミャンマーの置かれている状況下において解き明かす絶好の機会である。もちろん、これらのテーマを深く掘り下げるには、何冊もの本が必要である。しかしながら、本エッセイの目的は、少なくともこの議論の口火を切り、政治的混乱の時代に、人々に批判的でありながらも、開かれた心を維持することを期待することにある。 
 
ミャンマーの「春の革命」では、アートが様々な形での創造的な抵抗を伴う武器として使われている。春の革命の時代精神は、抗議行動から、ポスターキャンペーン、ソーシャルメディア上の文化の遺伝子に至るまで、包括的な芸術運動として考察することができる。人々を導き、情報を提供し、私たちの闘争を記録し、英雄を讃え、軍を非難し、革命を推し進めるアートが、最近のミャンマーではいたるところにあるようだ。そして、アートと同時に、政治やプロパガンダに関する感情が生じていることを認識することが重要である。 
 
現代におけるプロパガンダは、政治的な色合いが濃く、否定的な意味合いが強い。プロパガンダであるとみなされただけで、不信感が募る。現代人は、プロパガンダとは、明白な洗脳目的をもつ政治的野心の為の真実を装った誇張表現であると考えている。一般の鑑賞者にとって、芸術作品がプロパガンダであると分かると、なぜだかその芸術性が色褪せてしまうのだ。緻密な技術が使われているにもかかわらず、誠実さが感じられないのだ。そのため、鑑賞者の心の中には「芸術は純粋であり、プロパガンダは芸術ではない」という潜在的な二項対立が存在しがちである。
 
ここでは、この二項対立に疑問を投げかけ、特にミャンマーの現状において、アートとプロパガンダについての想定された理解を読者が再考できるようにしたいと考えている。ミャンマーの芸術の世界には、一般的に2つのタイプがある。政治に無関心なタイプと関心のあるタイプである。一般の人々が非政治的な芸術と考えるのは、宗教的な芸術やミャンマーの生活や文化を描いた静物画などである。一方、政治的なアートとは、様々な社会的・政治的問題に取り組むパフォーマンスや実験的な表現手段からなる、一触即発的でゲリラ的なアートシーンのことである。芸術とプロパガンダの理解の断絶と同様に、これらの政治的アートと非政治的アートの世界にも断絶が確かに存在している。軍事政権下での約1世紀にわたる検閲により、これらの断絶は癒やされることはなかった。また、一般の鑑賞者にとって、アートが政治的であることは理解できるが、アートがプロパガンダとみなされることは、完全に別のレベルへの降格だとみなされている。 
 
もちろん、全てのプロパガンダが芸術である訳ではないが、芸術とプロパガンダを完全に切り離したり、特定の芸術作品がプロパガンダであるとみなされているという理由で価値のないものとして評価する人は、単に思い違いをしているだけである。ただ、そのような思い違いにも充分な理由はある。芸術に明確な定義はないが(辞書的な定義だけでは不十分である)、ある時代の芸術には、その時代の社会的・政治的精神が反映されている。そして、何らかの形で人間性を表現することで、芸術は正義と真実のアウラを纏うのである[1]

芸術とプロパガンダの捉え方の全般的な不一致は存在するが、芸術もプロパガンダも、「影響を与える」という重要な機能において共通している。アートもプロパガンダも、鑑賞者に影響を与えるために、程度感やあり方は違えど、社会の構成員に情報を与え、批判し、記録し、導くものである。プロパガンダという言葉が広く使われるようになり、有名となったのは第一次世界大戦中であるが、プロパガンダが偏向した影響を助長するという概念は古くから存在していた[2]
 
プロパガンダの最も初期の形態は、宗教的プロパガンダである。この種のプロパガンダは、宗教的な哲学により自動的に正当化されるため、最も浸透しやすい傾向がある。それらは巧妙で、私たちの思考過程に自然に染み込んでいる。 
 
たとえば、バガン時代(西暦849年〜1287年)から続く、ビルマの冠仏像がある。豪華な装飾が施されたこの彫刻は、仏陀とビルマの王の両方を表している(図1)。仏陀は仏教を、王は国家を表している。宗教的、神話的な由来を無視して客観的に分析すると、国家と宗教を本質的に結びつける彫刻に一般人が跪いて敬意を払うという行為は、今日に至るまでミャンマー仏教のナショナリズムの根幹となっている。プロパガンダの道具である仏像を非難することは、あまりにも冒涜的であるかもしれないが、その目的は、宗教的なアイコンを作る際の政治的な企みを認識することにある。それゆえ、芸術は人間の権力闘争の物理的な確かな証拠であって、無実ではいられない。 


[1] Elkins, James, Stories of Art (New York: Routledge, 2002), 54.
[2] Ralph D. Casey, "EM 2: What Is Propaganda?" 1944年7月、GI Roundtable Series, USAにて発表。https://www.historians.org/about-aha-and-membership/aha-history-and-archives/gi-roundtable-series/pamphlets/em-2-what-is-propaganda-(1944)

  • 図1 象の玉座に座った冠と宝石をつけた仏陀、19世紀後半ビルマ(ミャンマー)、シカゴ美術館蔵

文明が徐々に近代化していく中で、美術も宗教的な像や富裕層・王族の虚栄心を描いたものだけではなく、一般の人々の生活や出来事を描いたものに変わっていく。一般市民が美術品の所有権を主張するようになったのは、美術史の中ではフランス革命の時である。ジャック・ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David、1748-1825)の「マラーの死」(La Mort de Marat、1793年)である(図2)。この絵画は、フランスの革命家ジャン=ポール・マラーが殺害された事件を描いたもので、1793年7月13日に風呂場でマラーの死の様子がジャーナリズム的に描かれている。新古典主義様式で描かれたこの絵画は、聖書画でキリストが追悼されるように、マラーを追悼するものである。キリスト教の構図や技法を使いながら、キリストの代わりに革命家を登場させることで、政治的な殉教者を表現したのである。1793年から1794年にかけて、革命を推進するためのプロパガンダとして、原画の複製が何枚も作成されている。後に、T.J.クラーク(Timothy James Clark、1943年- )のような学者は、政治的な意図を満たすために意図的に制作されたこの種の絵画としては、マラーの死が最初のモダニズム絵画であると主張している[3]
 
同様に、ミャンマーの「春の革命」における表現では、アートは全て独裁政権を倒すという純粋な目的のために制作されているといって過言ではない。2021年2月1日のクーデター以前のミャンマーのアート界は、政治的か、非政治的であるかを問わず、互いにコミュニケーションを取ることなく、受け身的な役割しか果たせずにいた。今、歴史上、初めて、この未曾有の政治的危機の中で、芸術やアートは攻撃的な役割を果たし、両芸術界は相互の尊重に基づく強固な統一体となった。それゆえ、アートとプロパガンダという想定された二項対立も再考されるべき時が来ている。アートには無邪気な雰囲気があり、プロパガンダには不誠実な印象があるのも事実であり、プロパガンダをアートとは認めないのが人間の自然な本能である。しかしながら、革命により、新しい世界が到来する兆しが見える今、私たちの身の回りにある芸術やアートには、政治的影響力やプロパガンダが常にさりげなく寄り添っていることを知覚することが重要である。


[3] T.J.クラーク「共和暦二年の絵画」Farewell to an Idea: Episodes from a History of Modernism、(New Haven: Yale University Press, 1999), 15-53

  • 図2 ジャック=ルイ・ダヴィッド《マラーの死》1793年、油彩・カンヴァス、165×128cm(ブリュッセル王立美術博物館蔵
    画像はこちら Jacques-Louis David, Public domain, via Wikimedia Commons