ARTISTS
All images courtesy of the artist
Curated, Edited, Translated and Design by SOCA (School of Contemporary Art Project) in collaboration with AURA Contemporary Art Foundation Aung Myat Htay, Yuto Yabumoto (AURA).
私は音楽をするとき、コラージュを見ます。すべての音楽の中に、形やコラージュがあり、今生きている状態や思考プロセスがあります。私は音楽の様々な形を経験した後にこのことに気付き、もうこのコラージュの中には入りたくないと思うようになりました。
詩の朗読の音
窓から見える道路をぼんやりと眺めていた、時を刻む時計の音は催眠術のようだ、等しく平凡な考えを持つ雲。映画の上映、その裏にある意味を馬鹿みたいに探していた、物語の筋の中で答えを出した質問者、ノートを集める教授、彼は正しいのか。雲は真実、彼は空にいるのか。彼は空のように存在するのか。弱い思考の根源は根絶しなければならない。感情のせいにはしたくない。元に戻すことはすること、詩は詩を書く。ダンスはその意味を持たず、非存在は存在である、彼は生命であり、彼は自然であり、彼は私であり、私は彼である、これはタオである。)
イトー:
私は宗教に関しては違和感があります。私は宗教を信じていません。そういう歴史が音楽に続くと、もう自分を何と呼んでいいのかわからなくなる。宗教という意味だけでなく、自分の存在意義を見失ってしまうのです。そんな時、道教の詩を読み始め、道教が好きになりました。私が自分以上に何かを愛するために存在するとしたら、それは家族だから、道教は自分に合っていると思います。私は家族のために生きています。私が家族よりも愛するものは、自国の人々です。それ以上のものは、私の国です。それ以上のものは、世界であり、それ以上に愛するものがあるとすれば、それは「存在」、つまりこの世界を創造した「存在の力」だと思っています。アーティストにとって、アーティストのエゴはとても大きなものです。そのエゴを超えて考えることができれば、アーティストはより大きな心を持つことができるでしょう。他者のことを考え、他者のために生きる。そんな生き方ができれば、私たちの国はとても美しくなると思います。でも、残念ながら、みんなエゴを超えられないようですね。だからこそ、私は意識してこの詩を書いたのです。
モエ・ミャット(Moe Myat ):
私は、映画監督、音楽家、写真家であることを厳密に考えたくありません。一つの表現手段にとらわれたくないのです。この『Freedom of Cloud』という作品は、オーディオとビジュアルの両方がお互いに補い合って成り立っている、共依存関係にある作品です。これはアートに限らず、学問や他のサイエンスとの融合も可能です。そんな自由度の高い作品だと思います。そして、自由であるがゆえに、創造性の可能性も高くなるのです。
Ito
Moe Myat
MATTER は、Moe Myat が運営する、アーティストによる思想的かつ革新的なリサーチラボである。ワークショップ、討論会、プロジェクト、イベントや上映会等を実施している。Win Htut Thawda rは、音楽家、作曲家、サウンドデザイナー等としても活動している。
<アーティストの詳細>
https://www.moemyatmayzarchi.com/experimental/2016/12/3/splash-cameraless-film